ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

単元を作る試行錯誤

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年末に向けて色々と仕事も落ち着いてきているので、三学期の授業づくりを考え始めているところである。

観点別評価も含めて、自分の授業の方法をこれまでの方法に固着しないように、新しいことを色々と考えているところだ。

授業は思いつきではなく…

自分の勤務校は一人で丸々とコースを抱え込むことが出来るので、単元で何をするかということを自分の裁量で比較的自由に決めることが出来る。(比較的なだけで、結局、縦横と足並みは揃えないといけないけどね…)

そのため、単元を新しく始めるたびに、できるだけ生徒の実態に即して、きちんと学力が付くことを考える努力をしている。その時々の生徒の興味関心や、社会の中の出来事や授業で使えるリソースなどを考えて、一番よい形の授業を考えるのである。

だからこそ、毎回、どうしたものか……と吐きそうになるくらいに追い詰められる羽目になるのだが……。

しかし、そうやって自由に何をやるのかということを考えることが出来るとは言え、自分勝手に授業をしてよいということにはならない。

年間の学校としてのシラバスがあるし、当然ながら学習指導要領の指導事項をきちんとカバーする必要がある(私立だからといって学習指導要領をやらなくてよいということはない)。

 

 

学習指導要領解説編を見ないで授業も出来ないのかという話がTwitterで話題になっているけど、別に授業は出来る。でも、バランスや年間の指導事項を確認したり、単元を行う理屈づけをしたりするためには、参照することになるのである。

まあ、言語活動例や解説で挙げられている例は、それなりに参考になることも多いので、なんとなくパラパラと眺めてインスピレーションを得るために使うこともある。

材料を探すところから

さて、教科書の素材を使って授業することも多いのだが、自分で素材を探してくることも多い。

この素材探しが時間がかかるし、手間をかけても見つからないことが多く、授業がもう始まる……というギリギリまで悩むことも多い。

基本的には自分が面白いと思う素材を授業の題材にしたいと思うのだが、自分が面白いと言うだけで生徒に投げつけたらよくないのである。面白いものを面白いと言って押し付けられることほど、興ざめなことはないのである。

自分が面白いと思う題材を見つけることが運良くできたのであれば、教科の特質からその素材がいったいどんな価値があるのだろう?ということを色々とぐるぐると考えることになる。

理想をいうのであれば、できるだけ自分が何かあれこれと指示を押し付けないで済むような形で素材との出会わせ方を考えるのである。

そういう出会いを考えることが出来るのは、教科の特質を理解し、生徒の実態を普段からよく知っているはずの授業担当者だからこその強みなのである。四六時中生徒と過ごすことの強みをちゃんと授業に活かしたいと思うのである。

考えても上手くいかないこともある

いくら悩み抜いた単元だとしても、上手くいかないこともある。

だから、単元を回しながら、生徒の様子をよく観察して過ごすことになる。そうやってよくよく生徒を見ていると、どうしても自分の期待通りに授業が行かないことがある。

そういう時は、諦めて単元を立て直すことも必要なのである。

大村はまですら、失敗することがあると言っていたのだし、素人の自分などはまして。

今でも、単元学習をやって、失敗もしますけれど、教師が次の時代を考えて自分なりにつかんだ将来のイメージをもって、それに役だつ人間の国語能力を目指して、私の場合は、同じ教材を使わず、工夫して向かっていく。こういうことは、たとえ、かなりの失敗があったにしても、子どものはんとうの生きる力ということから言えば、プラスなのではないかと思うことがあります。

大村はま『大村はま国語教室 第1巻 国語単元学習の生成と深化 』

泥臭く、ゆっくりとやっていこう。まだ三十年は試行錯誤できるのだから。

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