時間に余裕があるので、授業について考える時間が持てている。
自分の授業のことを見直すと、上手くいくときと上手くいかないときの違いを考えると少し気をつけるべき点が見えてくる気がする。
一般的なこと
- 目標が明確であるか。
- その目標を選んだ必然性は何か。
- 目標の達成の有無の判断をどうするか(評価基準)
- 教えるべきことは何か
- 授業で活動すべきことは何か
- どうやって学んだことを学び手自身が学びを自覚するか
自分の授業は生徒に任せる部分が非常に多い。だからこそ、目標-活動-評価がズレないように綿密にイメージを持たないといけないと強く思っている。
国語の授業のこと
- 生徒の言語生活の実態はどのようなものになっているか
- 生徒の読み書きの実態はどのくらいか
- 生徒の関心と扱いたい素材の関連はどのくらいか
- 生徒が単元の学習材にどのような反応を示すか
- 生徒が言語活動に取り組むときにどこにつまずくか
- つまずいたときにどのようなアプローチがあるか
- 生徒に手渡す素材は何が適切か。
- どのくらいの素材を渡してよいか。
- 渡した素材をどこまで解説するか。
- 自分が同じ活動をしてみて何を感じるか。
- 自分が同じ活動をしてみたら何に困るか。
- 読み書き、話す聞くをする必然性がどこにあるか。
- 本気で楽しいか
自分自身が単元で扱う学習材と言語活動に熱中して取り組めるかどうかということが結局は一番の試金石である。自分が楽しいと思わないものを中高生に取り組ませたって絶対に面白がって夢中になって授業に取り組まないと思うのである。
想定は外れる
色々な想定をして授業に臨むのだけど、それでもやはり想定は外れていく。
生徒の方が自分が想像した以上に、色々な発想で学習活動に工夫して取り組んで舌巻くこともあれば、思った以上に反応が悪いことだってある。
単元の見通し通りに進まないときには、撤退することも必要だと思うが、なかなか予定していた単元を打ち切るって判断は授業数を取り返せないので難しいものである。でも、必要があればそういう判断ができるくらいの腹は決めて授業に臨みたいと常々思っているのである。
優劣のかなたということを思うのだけど、どうしても自分の生徒を見る目がそこまで届かないという感じを思う。
自分が授業で何を見ていたかということも、生徒のどのようなことに問題を感じていたかということも、時間とともにどんどん忘れていく。
そういう忘却にあらがうように、何度もふり返り、改善を考えることでしか、授業は改善できない気がしている。