ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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言語生活の実践者として

Tamang Heritage Trail, Nepal

授業について色々と話すことがあり、やはり学齢が下がるほど丁寧なことが必要になるよなぁ……としみじみ思う。

高校の段階ともなるとなかなか「生活に根差した」というものでもなくなってくるのだけど、本質的に生徒のことをよく見て、必要なことを指導する……ということは小中高のどれだろうと変わらないだろう。しかし、小学校の丁寧さに比べると、つい高校は「内容」の高度さを理由に生徒の実態から離れやすいのは反省が必要だなぁと思う。

丁寧に生徒を見る

日常から「高校の実践報告が少ないよなぁ…」と嘆いているけど、幸い、小中の実践報告は多くあるので目にする機会は多い。なんやかんや毎月、『国語教育』は読んでますし。

教育科学 国語教育 2018年 11月号

教育科学 国語教育 2018年 11月号

 

もちろん、毎回毎回「これはすばらしい!」と感服する実践ばかりではないけど、さすがに市販されて出てくるような実践は丁寧に考えて作られているし、授業者が子どもの様子を丁寧に見て、成長してほしいと願っている気持ちが見えて、そういう丁寧さを見習わなければならないという気持ちになる。

リーディング・ワークショップでカンファランスをしていると生徒のことを色々と「知る」ことも多い。

www.s-locarno.com

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つくづく、自分が生徒を「なんとか知ろう」という努力を怠りがちなのだと、カンファランスで話してみると気づく機会が多い。これは大福帳でも振り返りジャーナルでもダメで、直接話して見えることがある。なかなか難しい。

こうやってカンファランスを重ねていく中で見えていく子どもの姿から単元を作っていきたいと思う。

ちゃんと子どもの姿が見えているならば、あとは適切な素材を選べれば奇をてらうような複雑なことをしなくてもはっきりとするべきことが子どもに伝わっていくのではないかと思うのだが……。

子どもへのまなざし

ちょうどこんな本を読んでいたこともあり、気持ちとしてはだいぶナイーブになっているのかもしれない。

美しい願いごとのように

美しい願いごとのように

 

教育の理論書などではなく、河野先生の熊本大学教育学部附属小学校の校長時代のご体験の総括が記述されたものであり、非常に思いの詰まった一冊になっている。

この本を読むとつくづく自分に足りない「生徒へのまなざし」のあり方を感じさせられる。

丁寧に理論や理想から成長を期待するような面もありながら、一方で子どもたちの世界の出来事を優しく見守り、紡がれている言葉ある。自分が本当に子どもの近くで子どもの世界を見ようとしていないと出て来ないよなぁ……自分には気づかないことだよなぁ……と思わされるのである。

それが出来ないから高校にいるとも言える…?いや、それは言い訳だろう。拙いカンファランスから自分が学んだことは、程度の差はあれ、高校生だって自分たちにとって大切な言葉や言いたいことがあるということであり、その言葉についての考えを見ないふりするのは、ずるいのだろうなぁ……。

自分自身が言語生活者として

そうして大学に教えられたことを思い出すのである。

自分が丁寧に「言語生活の実践者」として色々な言語活動を普段から取り組まなければいけないということだ。

文を書いたり誰かと話したりという素朴なことから始まり、伝統的な言語文化…短歌や俳句を作ってみたり、実用的な言語活動…スピーチして見せたりプレゼンしてみたり……色々なことを自覚的に行い、見本として生徒に自分の姿を見せていかなければならないのだと教えられてきた。

こうして授業者として日々を過ごしているとその重みを今更ながら感じる。

高校で「話すこと・聞くこと」や「書くこと」が低調な理由って、もしかしたら教員自身が苦手だからなのかもしれない。なーんてね。それが理由ならまだマシなのだろうけど。

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