今年は一年間、「読書家の時間」と「作家の時間」を続けます。
久々に生徒とカンファランスをすると気づくことは多くありますね。
以前の実践記録はこちらから。
試される読書量
カンファランスは教員にとってはなかなかの修行だ。
生徒の読んでいる本を見て、的確にその場で生徒の読書家としての成長をエンパワーするようなコメントができるかどうかということが試されているように思う。
言葉にするとなかなか大仰なことに見えるのだが、肩肘張って口頭試問のようになってしまうとリーディング・ワークショップは台無しである。
安心安全の先にやっと本を通じた対話がある。
だから、どうやって声をかけるのかということや、どうやって生徒の考えを引き出すのかということが難しいのである。
リーディング・ワークショップを続けていると、なんとなく勘所はつかめてくる漢字は毎回有るのだが、こうやってしばらく離れていると会話の仕方を忘れるのである。
ただの自由読書ではなく、確実に読み手としての技を伝えていくという行為である。指導として明確に導きたい方向性が何かを考えるし、伝えるべき技は何かということに頭を使うのである。
こういう生徒とのカンファランス(もしくはチェックインという場合もあるけど)は、やはり授業者自身が読書家でないと難しさはある。
生徒の読んでいる本を網羅的に読むのは自分の今の生活では難しいが、生徒の興味関心を的確に把握することや、本を通じた会話で相手を引き出すための本質的な興味の持ち方や、読書を広げる方法を伝えることなど、あらゆる点で読書家としての自分が試されているように思う。
近すぎず、遠すぎず
自分がリーディング・ワークショップの実践を始めてから五年くらいが経つ。日々、年齢を重ねると、生徒との世代の差が広がりつつあるのである。自分の貯金だけで読書のことを語ろうとすると、説教臭くなるのである。
生徒の興味関心や読んでいる本のリストをカンファランス後に並べて見ると、確実に毎年、変化しているのである。同じ作家や本も何度も出てくるけど、少しずつ流行廃りや刺さり方に違いが出てくるので、毎回、丁寧に考えなければいけないのだろうなと考える。
一方で、生徒の手持ちのカードだけの読書に終わらないように、引き出していくためにはどうしたらいいかということを考え続けている。
自分で挑戦してみようという力を引き出すために、生徒とのちょうどよい距離感を探り続けることになるのかなぁと思う。