ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

リーディング・ワークショップのカンファランスをどうする?

Checks

この前にちょっと触れたリーディング・ワークショップのカンファランス(チェックイン)に関わる話。 

s-locarno.hatenablog.com

カンファランスとするのかチェックインとするのかの違いを論じるほどの知識はないので細かく区別しないでカンファランスという言い方をしておく。

今のところ自分がカンファランスでやっていることはアトウェルの"The Reading Zone"に倣っている。 

The Reading Zone: How to Help Kids Become Passionate, Skilled, Habitual, Critical Readers

The Reading Zone: How to Help Kids Become Passionate, Skilled, Habitual, Critical Readers

 

その実際の様子を少し書いてみよう。

集中している生徒に声をかけるべきか

リーディング・ワークショップをやってみて、なかなか感覚的に掴みづらかったのが「ひたすら読む」時間の際にどのように生徒に声をかけるかというカンファランスだ。

「ひたすら読む」ということを求めているのに、カンファランスでその読書を止めてしまうのは、やっぱり何だか忍びない気分がしてしまう。

生徒によっては露骨に嫌な顔したりするし(笑)*1

しかしながら、生徒の読書の時間を中断することになるけれども、結論としては「やったほうがいいかな」という感覚がある。

もちろん、多分に「教員として何もしないのは忍びない」というプレッシャーを感じているということはあるのだろうけど、それを割り引いても、生徒の読書の支援という意味で声をかけたほうがいいように感じる。

生徒を試しているわけではない

"The Reading Zone"でもはっきりと書かれているけれども、生徒へ声をかけて会話を交わすのは「口頭でのテストではない」(P.66)。

そもそも、読んだ本のことを一方的に語らされることや大勢の前で発表させることは生徒にとって必要なことだとは思わないと言っているくらいだから、生徒の読書にとって心配や不安を与えて阻害するようなことは会話では行わない。

どちらかと言えば、安心して今している読書がいいものだと安心してもらったり、自分がどうも入り込めない本をやめることに自信をもってもらったりするために話しているという側面が強い感じがする。

大前提として、一人の教員が生徒全員が基本的には全員異なる本を読んでいる中で、詳細な口頭試問をできるわけはないのだから、この読書の時間の中の会話自体、気楽なもの、ラフなものとして考えたほうがいいよなぁと思う。

生徒を把握して勇気づけるため?

"The Reading Zone"では、子どもの読書に対するモチベーションを引き付けることや生徒の読書の様子を把握することのために、会話が行われている様子が描かれているけど、これは「毎日」少しずつやるからこそ効果があることであると思うし、実際、本書の中でも間を開けずにこまめに話すことがいいという趣旨のことは書いてある。

そうやってこまめに話すからこそ、子どものことをよく把握することができるのだろうし、細かく「どんな本を読み進めていくのか」ということを把握して勇気づけたり、「読書家として自立する」ということを促したり上手く回っているんだろうなあと感じる。

一方で、自分の実践しているリーディング・ワークショップは、週に一度しかないし、一度のワークショップで声をかけられる人数は多くても20人まではいかない。話せばそれだけ自分が消耗してしまうし、授業を毎日継続的に…というわけにはいかない現実がある。

だから、一回のワークショップでの生徒の会話においては、"The Reading Zone"で述べられているほど効果的に生徒の把握ができたり支援ができたりというのは難しいだろうなぁという感触はある。

高校生も語りたい?

実際、自分がカンファランスで生徒に声をかける内容は"The Reading Zone"のP.68のアトウェルの学校で行われているチェックインで使われている質問一覧を使っている。

内容としては本当に簡単なものばかりで「今、どこを読んでいるの?」ということや「この作家をどう思うの?」ということに始まり、集中できていない場合などは「その本、面白い?」のような質問をするというようなものだ。

しかし、これらの質問はかなり練られていることもあって、内容についての追試は比較的気楽にできるし、答える生徒の側としても、質問が単純なだけに、本当に気軽に答えてくれる。そのうえ、反応としても上々なので、一石三鳥くらいに効果があると感じる。

もちろん、これらの質問が優れているということは間違いなのだろうけど、それ以上に皮膚感覚として感じることは、「話しかけられると本について話したいことを持っている生徒は意外と少なくない」ということだ。

もちろん、邪魔されたくないという感覚は強く持っているのだけど、一方で内容に引っかかったことを話したいという気持ちがある生徒や、気に入った作家や内容だから教員に次に読む本を聞いてみたいという生徒や、やめるきっかけが欲しくて声かけられるのを待っている生徒など、声をかけられると反応する生徒は意外と多い。

今読んでいる本でいいのかどうかという面は、生徒と話していると意外と多くコメントに出てくる。例えば、小説ばかりだからほかの本を読んだほうがいいのかとか読んでいる本が児童書だから簡単すぎますかとか……思えば、つい、大人が子どもが読んでいるものに口出してしまうようなことを心配していることが多い。だからこそ、「その本いいじゃん!」とか「良い読書してね」と声をかけていくことが「安心を作る」という意味ではかなり機能しているように感じる。

この「安心」が読書場に共有されているという感覚はかなり重要だとしみじみ思う。

どの程度生徒を把握できるか

指導しなければいけない…という観念からすれば「カンファランスでどのくらい生徒を把握できるのか」という点は興味を持たれるかもしれない。

でも、結論から言ってしまうと「週に一回程度のカンファレンスでは無理かなぁ」というのが自分の今のところの答えだ。

自分の配属学年であるので、毎日顔を見るからこそ、「結果的に」生徒の読書の様子を把握していることはあるけど、リーディング・ワークショップだけで"The Reading Zone"の教員たちのように生徒のことを密に知ることは、回数が少なく相手の多い教室では無理だ。

もちろん、生徒のことを把握する意味は非常に感じる。話のついでに本を薦めたり、上手くいかないときに声をかけたりするためには、生徒のことをかなり知っていないとキツイ。

でも、ワークショップだけを頼っていては、いくら大福帳を書かせて、それを読んでいても、生徒個人個人を追いかけるのは無理だなと思う。

回数が取れない、人数が多いのであれば、個別の把握ということに力みすぎないほうがいいなぁという感じがしてきている。

それでも意味があるカンファランス

生徒を把握できないのであれば意味がないのではないかと言われるかもしれないが、それでもやはり意味があるということは強調しておきたい。

第一に、上述のように「安心」という感覚を広げていくには、生徒の声を聴いて「それで大丈夫だ」ということを形式的であったとしても伝えていくことにかなりの意味があるように思う。

子どもたちの読書環境が意外にシビアで「本を読んでいるくらいなら他のことをやれ」という大人たちからのプレッシャーを食らっている生徒の話が多いこと……。だから、好きな本を読んでていいんだよという後押しが、絶対に効果があると感じられるのだ。

第二に、やはり話していく中で読書家としての自立を促す側面は強いように感じる。簡単な会話であるけど、本を読んでいるときに困っていることや引っかかったことを「自分も読書家として同じ経験をしたときがあって……」という感じで伝えていくことにかなり意味がある。"The Reading Zone"の中では「いつか読む本リスト」の指導だとかがされていたけど、あれも「教える側の教員自身が充実した読書生活を楽しむためにやっていること」という下地があって言えるようなことのように、自分がカンファランスをやっていると強く感じる。

まとめのようなことをいうのであれば、カンファランスを通じて、教員自身の読書生活を見直すことになるし、結果的には、その読書生活でやっていることを効果的に伝えていくには、やっぱり個別に会話を積み重ねるしかないんだと思っている。

*1:じゃれついているだけです。

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