最近は色々なところで検定試験が流行りですね。
英語の検定試験は大学入試改革で推奨されるようになり、もはや外部検定試験を推奨するなら指導要領いらないじゃん……と毒づきたくもなりますが、そんな検定試験の波は国語科にも及んでいるように感じます。
例えば、古くからある漢字検定に始まり、最近は国語科に振られることが多いものとしては、文章読解・作成能力検定だとか語彙力検定とかニュース検定だとかがありますね…。
しかし、これだけ検定試験が乱立しているけど、本当に国語科教育にとって意味があるの?という疑問がわいてくる。
実際のところ、きちんと論じた論文だとかを読んだことはないので、自分が今思っていることを書いておこうと思う。
タダじゃないんだよ…
国語の検定試験に限った話ではないけど、英語でもなんでも外部の検定試験には金がかかるということを無視してはいけない。
例えば、漢検協会の文章読解・作成能力検定の料金を見ると…
受検級 検定料(税込)
2級 4,000円
準2、3級 3,000円
4級 2,000円
となっており、まあ、英語関係の検定試験よりは割安ですが、何度も受けるとなると安くはないという感じですかね。
別に受けるべき検定試験がこの一つだけであるというのであれば問題ないのだろうけど、これに合わせて漢検だとか英検だとかを重複受験していくと、年間総額がそこそこいい値段になる。
時間は有限
生徒の時間は有限だということに無頓着な教員は多い。
検定試験を受けるにしたって結局は生徒の時間を拘束することになる。受けさせるほうは送り出すだけでいいから自分の時間は減りませんからね…。
試験を受けるならそれだけ対策をしなければいけないけど、そういう受験対策の勉強をするからと言って学校の宿題を減らさないでしょう?
カリキュラムと評価の整合性はどうするの?
あまり小難しい話を弄しても仕方ないけど、検定って能力を評価する訳でしょう。その検定で能力を評価しようと学校が導入をするのであれば、普段の授業との整合性をどう考えるのでしょう?
例えば漢字検定をやらせるからといって学校の授業で漢字検定の漢字指導をしないだろうし、漢字検定によってどんな「生きる力」が身につくというのだ?
まあ、結局、「外部試験はモチベーションづくり」だとか「足りない知識を補ってもらう」だとかいう「言い訳」によって、「授業とは無関係にやるべき勉強」だというのだろうけど、そうなると生徒の持ち時間がどんどんと削られていくのである。
本当に能力を測れているの?
個人的に一番、気になるのはこの点だ。
ここ最近になって一気に検定試験が増えたけど、それぞれの検定試験が試している力というものは、本当に「能力」を測定できているのか分からない。
まあ、知識系の検定は明確に「知っているか知らないか」ということとで判別できるのだろうけど、「文章力検定」だとかのようにただでさえどんな基準で測ればいいか分かりにくい「文章力」のようなものを検定で測定できるのか、その結果は妥当なのか…自分にはわかりかねる。
どんなデータを検討したらいいのかしらん?