こんな記事を見た。
この手の国語科に対する批判めいた話は、定期的に繰り返される話である。この記事だと国語科教育と言うよりも新しく始めた教育に対する批判のような内容が中心になっているけど、まあ、そういう話もよくある。
個人的にはこの手の話については「各教科で必要な国語力なるものは、各教科の責任で時間を取って指導してね」という意見である。
もちろん、国語科が他教科の学びの基礎になるように、文章を読むことや書くことに対して主体的になれるような工夫をすることは大前提である。しかし、一方で、この記事で書かれているような単なる文章題の読解か答案の作成を国語科の責任で出来るようにしろという話ならば、それはご自身の教科でどうぞということに尽きる。
難しいのが「国語科でまともに読み書きを教えていないから、教科の読み書きが教えられないのだ」と言われてしまうと、水掛け論になってしまう。国語科としてはちゃんと作文で書くために必要な指導もしているだろうし、教科書の文章などをちゃんと読むことを教えているだろう。ただ、残念ながら能力は簡単には他の文脈には転移しないので、国語で読めても数学の文章が読めるかは別問題である。
だからこそ、国語で扱う文種を広げていくこと自体は悪い話ではないと個人的には思う(現代の国語や論理国語がかなり多様な文種を扱うわけですが…だからこそ、この二つが嫌われているとも言えるのだけど)。
だからといって、他教科の文章題の読み方はもちろんだし、もっと踏み込んで言えば、他の教科の教科書の読み方を教えられるかといわれれば、それは微妙だと言わざるを得ない。
必要な文脈で、必要な読み方でないと教えることは非常に難しい。国語の授業時間数にも限りがある。どの教科であっても読み書きの力が学力を下支えするのは間違えないので、だからこそ、全ての教科で言語活動を充実すべきだろうと思う。
その意味だと、国語科以外の書くことの実践が骨太に紹介されている以下の本はかなり役に立つはずだ。
しっかりと時間を書けて継続的に繰り返せば、それぞれの教科で言語力はつくはずなのである。
もちろん、国語科は言語のプロのはずなので、他教科で何か表現活動に取り組みたいというのであれば、協力できることは多いはずなのである。
だからこそ、国語力がないから問題が解けない、国語をもっと大切にしろ、なんて言うよりも、国語力が大切だと思うので、どうすれば自分の教科の特性にあった言語活動ができるのかを考えようという方向性になってもらったらなぁ…と思うところだ。