明日から日常の仕事に戻ります。
成績をつける(評価ではない)という一番やりたくない仕事にしばらく拘束されるが、その後は三学期の授業を考える余裕はありそうである。
ぼんやりと冬休みの課題を考えながら、三学期のことを考えるなどしているところだ。
シンプルに考えると
どうやったら国語の力がつくのだろうという根本に立ち返って、いつも単元の構成は考え始める。
ここまでの単元で何を取り組んだのか、これからの単元で何をやれるのか、卒業までに何が必要になるのか、そういうことを学習指導要領でカバーしなければいけない項目と照らし合わせながら、アイデアをめぐらせるのである。
参考文献なども軽く目を通しながら、色々と考えてみる。だから、いつも時間が掛かるし単元を考え始める時が一番しんどい。
色々と考えてみるのだけど、最近の結論はいつも同じ所に落ち着く。
すなわち、「たくさん読んでたくさん書く」という活動に取り組まないと、読む力も書く力も身につかないのである。
読み方の練習や文章を精読する方法については一斉授業で効率よく教えるという方法もあるかもしれない。でも、実際に読み書きの力をつけていくためには、自分自身で読み書きをしないと無理なのだ。授業を聞いているだけで読み書きができるようになる訳がないのである。
一斉授業で教えた、やり方や考え方は見せた、はい、じゃあ、あとは自分でどこかで自助努力してね……それって教える責任を果たしたことになるのだろうか。
「たくさん読んでたくさん書く」ということが力をつけるために必要なことだと考えるならば、授業でそういう時間を取らないとダメなのだろうなぁと思う。
時間の少なさと不安定さ
たくさん読み書きをさせるには、高校の国語の授業はかなり少ない。少なくとも自分の勤務校では、自分は一クラスあたり週に2コマしか教える時間が無い(論理国語については4単位科目であるが、2年と3年で分割履修になるため2コマなのである)。
週2コマだと1週間に一度も授業がないと言うことが珍しくないのである。
考査までの授業数が10回程度であることがほとんどであり、まとまって「読んで書く」ということの時間が取れないないのである。
そうなると一斉授業で教えてしまいたくなるのだけど……どう考えても10時間くらいならば、一斉授業で教えた方が情報伝達効率は高い。
でも、それでもやっぱり大切にしたいと思うことが「読んで書く」ということなのだから、教えたいという自分のお節介な思いこみを一旦、脇に置くようにして、その上で何は本当に伝えないと上手くいかないかを考えなければいけないのである。
自力で学ぶ力を奪わない
アレも教えた方が良い、コレも教えた方が良い……そんなことを繰り返していると、何でもかんでも教えないと出来ないのだと、子どもの姿を見るようになってくる。
本当に教えなければ出来ないのか、教えようとすることで自分で学べることを奪っていないかと立ち止まって考えなければいけないのである。
本当に教えなければ分からないことも間違いなくある。教えることで効率よく進めることもある。
でも、何もわからないのだと思ってしまうのは危険なのである。
どうやって学んでいく道筋を見せれば、上手くやってくれるのだろう?