ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

学習指導要領案が出たので気になるところをつまみ食い

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いよいよ、次期学習指導要領の案が出ましたね。

学校教育法施行規則の一部を改正する省令案並びに幼稚園教育要領案、小学校学習指導要領案及び中学校学習指導要領案に対する意見公募手続(パブリック・コメント)の実施について

学習指導要領 改訂のポイント一覧と前文 | 教育新聞 電子版

<学習指導要領>知識使う力、重視 異例の指導法言及 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

全部に目を通してはいないのでえらそーなことは言えないのですが、国語の教員として気になったことをいくつか書いてみようと思います。

世の中に出回っているコメント

上の新聞記事などで気になるところを引用しておく。

小・中学校の学習指導要領改訂案が、2月14日に公表された。総則では、学校と社会の連携・協働の実現を図る「社会に開かれた教育課程」を重視。児童生徒が「何ができるようなるか」、そのために「何を学ぶか」「どのように学ぶか」を意識しながら、教育内容を編成するカリキュラム・マネジメントを実施するよう求めた。(教育新聞

答申でも話題になっていた「社会に開かれた教育課程」という観点が強調されている。まさにこのコメントにあるとおり「コンテンツベース」から「コンピテンシーベース」への転換ともいうべき内容が教科の内容に押し出されていると感じる。 

教科の本質から迫るコンピテンシー・ベイスの授業づくり

教科の本質から迫るコンピテンシー・ベイスの授業づくり

 

「覚えた知識がどんどん塗り替えられていく時代に、ただ知識を持っているだけでは通用しない。知識を使いこなし、試行錯誤しながら課題を解決する力を学校教育で養う必要がある」。今回の学習指導要領改定の狙いを文科省幹部はそう解説する。(毎日新聞

国語科の内容でも後述するけれども、「知識・技能」だけを「教えた」と教員が思っているだけの授業では許されないなぁという印象を受ける。

改訂のポイントの中では

小・中学校においては、これまでと全く異なる指導方法を導入しなければならないと浮足立つ必要はなく、これまでの教育実践の蓄積を若手教員にもしっかり引き継ぎつつ、授業を工夫・改善する必要。

と述べられているものの、「これまでのままでよい」という判断をしてしまうとかなりマズイことになるんじゃないかと感じる。

それは教科の目標や文言を見ていくとひしひしと感じるのである。

中学校国語の内容は?

教育新聞が対照表を作っていたんだけど、会員限定になってしまってもはや見られぬ…。残念。自力で読み取ったことを少しずつ書いていこう。

〔知識及び技能〕と〔思考力・判断力・表現力等〕が分かれた

個人的にはこれが一番大きな改訂であったと思うし、内容としても重いように感じる。

しかも、「第3 指導計画の計画と内容の取扱い」の1(3)を読むと以下のような記述がある。

第2の各学年の内容の〔知識及び技能〕に示す事項については、〔思考力・判断力・表現力等〕に示す事項の指導を通して指導することを基本とし、必要に応じて、特定の事項だけを取り上げて指導したり、それらをまとめて指導したりするなど、指導の効果を高めるように工夫すること。(下線強調は引用者)

この一文の意味は大きい。新指導要領案について勤務校で話し合いを少ししたけど「アクティブ・ラーニングとはいうけど、中学校は基礎基本やらなきゃダメだろ」という意見が大半を占めていたけど、そんな意見を一蹴するかのような一文。

現行の学習指導要領でも「習得・活用・探究」は一方向的なものではないとはされていたけど、やっぱり「基礎基本信仰」がやたらと強かったことを考えると、その改善という色合いは感じられる。 

www.s-locarno.com

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さりげない一文ではあるけど、明示されること自体に現状に対する問題意識を感じる。

内容の言葉の恐ろしい変更

これまでの学習指導要領の「内容」に使われている文言は

……次の事項について指導する。 

 であったのだけど、次期学習指導要領では

……次の事項を身に付けることができるよう指導する。 

に変更されている。

お分かりいただけるだろうか?「指導する」だけではなく「身に付けることができるように」とはっきりと「何ができるか」という観点が盛り込まれている。

今回の改訂にあたってカリキュラム・マネジメントや評価のことがかなり言われているのが反映されている形だ。「何ができるか」という観点は「これを教えた」というコンテンツベースの発想ではなく、コンピテンシーベースの発想であるし、「〇〇ができる」ということをきちんと授業や単元の中で責任もって評価していかなければならないということになるだろう。

「情報」に関する事項が強調される

教育新聞の記事でも強調されていますが、「引用の仕方や出典の示し方、情報の信頼性の確かめ方など、情報の扱い方に関する事項を新設」されました。

事項としては〔知識及び技能〕の項目として挙がっており、内容的にはこれまでの三領域で扱われていた内容に近いことや改善されたことが中心だ。しかし、高校の「現代の国語」や「論理国語」などの科目を意図しているのか「引用の仕方や出典の示し方に理解を深め、それを使うこと」や「情報の信頼性の確かめ方を理解し使うこと」という内容がかなり目を引く。

この内容については、一般的な教員にはピンとこない可能性がある。こういう「引用」が求められるような文章を教員が日常的に書いていない場合の方が多いだろうことを考えると、「できるように指導すること」と言われても、自分ができないことを生徒にやらせるようなものだ。あらためて、教員自身が日常的に「学び手」として多様な活動をしていることが求められているという感覚がある。

文学と論説の順序が変わった

地味に大きな変更としては、これまでの指導要領は「文学」に関する指導事項が事項の先の順番に並べられていたのだが、今回の案では論説や説明文に関する事項が最初に来るように変更されている。

地味だけど、この変化はかなりデカい気がする。前項で書いた「情報が強調されている」ということと併せて考えても、「社会に開かれた教育課程」という要請に応えるためにかなり「論理」という点を強調しているように感じる。

また、すべての学年で「複数の文章」を読み比べたり活用したりという話題が出てきている。つまりは、これまでの国語の授業が「教科書」のある文章について、一文一文精読していくような授業であったことに対して、この指導要領の言っていることは、そのような精読だけではダメだというニュアンスを感じる。

国語の授業と言えば「定番の文学教材」をクラス全体で問答していって、教員さまから正解を拝聴する……というイメージを持たれやすかったのだけど、そんな非効率な授業スタイルが悉くダメ出しされているような感じがする。

また配慮事項に「図表や写真を用いる」ということがでているように、非連続テキストを指導することも強調されているのも、文学一辺倒から論理へという強調する姿勢が見える。

もちろん、このあたりの話が出てくるのは学力調査やPISAの影響が大きいのだろうなぁ… 

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精読に関わるような事柄は〔知識および技能〕に

これも地味だけどデカい変更だと思う。これまでの「言語事項」に当たるような項目が並ぶ〔知識および技能〕の項目に、これまで三領域にあった「語句の意味を理解する」だとか「全体と部分の関係を理解する」だとかが、「事項」と同列に書かれている。

格下げ…というと語弊があるけど、今まで国語科の多くの人が必死になって一斉授業してきたようなことがあくまで「知識・技能」の一部に過ぎず、それを前提としてもっと高度なことをやれという構造になっているのが恐ろしい。

これまでの3領域に書かれている内容の中心は「自分の意見を持つ」ということだとか「多様な読み手を想定して説得力のある文章を書く」ということだとか、いずれも「自己対他者」、「自己対社会」のように、自分一人で学習が完結できないような内容になっている。

つまりは、「主体的・協働的で深い学び」ということなのだろうけど、完全に指導の中心がそちらに移っているように感じる。しかも、「身に付けることができるように」指導しなければならないのだから、非常に大変なことになっている!

多くの資料を使うことと学校図書館を使うこと

情報ということと関わっているのだけど、「第3 指導計画の計画と内容の取扱い」の1(6)を読むと「C読むこと」の指導については、様々な文章を読むことと他教科における読書の指導や学校図書館における指導との関連を考えて行うことと述べられており、はっきりと資料をたくさん使うことや図書館の活用が指摘されている。

これまでも学校図書館を使うことは別項で述べれていたけど(その項目は案にもちゃんと残っている)他の教科との連携や学校図書館との連携が「読むこと」に結びつけることが求められたことはそうというに大きい意味があると感じる。

何度も繰り返して言っているけど、「文学だけを精読する」国語ではダメだし、基礎基本だと称して精読を一斉指導しているだけではダメなのだ。

読むことの内容も「社会生活の中から…」という言葉が散見されるように、そもそも読むべきものが一つに限定できないような状況を設定しているしね。

しかも、総則の中で「言語活動の要」として国語科は大きな役割を担っていることが強調されているし、この指導要領の「主体的・対話的で深い学び」の達成のために国語科の責任は重い。

教員が本気で何か問題意識をもって日常的に図書館を使うという習慣がないと、こういった配慮事項を達成するのは難しいのではないかと感じる。

あらゆるところから勢いを感じる

他にも総則で述べられたこととの関連ではあるけど、例えばICTを意図して「情報ネットワークを積極的に活用する機会を設ける」という文言があったり、インクルーシブ教育を意図して「障害のある生徒などについては、学習活動を行う場合に生じる困難さに応じた…工夫を計画的、組織的に行うこと」という文言があったりする。

これらが総則にとどまらず、教科の配慮事項に繰り返された意図は考えるべきだろう。

特に、後者の観点は「すべての子どもに学びを保障する」という当たり前の発想であるが、わざわざ強調されて書かれる意味は考えるべきだろう。総則の中でも障害のある生徒や不登校の生徒への配慮や個別の対応が強調されたのと併せても、「できないのは生徒のせい」なんて言ってられないのだという意識は持ちたいところだ。

勢いはいいけど

ものすごい勢いと熱量を感じる案だと思う。文言自体は流し読みすると、現行の指導要領と同じものもあるので気づきにくいけど、細かいところで注意深く「今までを再生産すればいい」ということは退けられていると読める。

また、色々な教育をめぐる問題点についても解決を図ろうとする勢いと譲れなさを感じる。

しかし、一方でここまで盛沢山かつ内容が重いと、現場の教員は厳しいんじゃないかと正直思う。自分の近くの教員に聞いても「大して変わらないんでしょ?」とか「活動くらいやっている」とかずいぶん余裕な態度で話を受け止めている。

しかし、決定的にコンテンツベースからコンピテンシーベースへの転換や「社会へ開かれた」という点で責任を負わされているこの案を見ると、そんなに簡単なものじゃないよと言いたくもなる。

また、一方でこれだけ盛り込んだのに、人員の増強がない、予算が増えないというのは物理的にそうとう厳しくなる。部活動問題などもあいまいなまま流したら、これだけのボリュームの内容は指導できないぞと思う。

今後、この案がどのように転がっていくかは見ものです。決定的にパラダイムが異なるものが上から降ってきたときに、現場はどうやってやっていくのだろう?

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