昨日、届いた新刊を早々と消化。

学習指導要領の読み方・活かし方-学習指導要領を「使いこなす」ための8章
- 作者: 合田哲雄
- 出版社/メーカー: 教育開発研究所
- 発売日: 2019/06/28
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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今回の学習指導要領改訂の中心人物である合田氏による一冊。
今年から移行措置ということもあり、色々と動き始めているタイミングでの出版なので発売前から注目していました。
新学習指導要領の全体像をつかむ
本書のタイトルは「ノウハウ」の紹介にも見えるのですが、合田氏が書いていることもあり、安易なノウハウは全く書かれていません。
本書の性質は「はじめに」の以下の言葉によく表れています。
「自分の足で立って、自分の頭で考える人になってください」――授業の最後にある先生が言ってくれた言葉は、学校教育が何のためにあるのかを端的に表していると思います。(P.4 下線強調は引用者)
「浮足立つことなく」ということが何度か繰り返されていることからも、新しい学習指導要領で求められる新たなことと今までの学校教育のよい蓄積とを繋げていこうとする意志が感じられます。
本書の構成は以下の通り。
はじめに
第1章 「二つの未来像」の相克と学校教育
第2章 学校の目的を実現するための学習指導要領
――その役割と変遷(1958年から2008年まで)第3章 2017年改訂の基本的な考え方と構造
第4章 「主体的・対話的で深い学び」と「見方・考え方」
第5章 学習指導要領を「使いこなす」こと
第6章 2017年改訂と学校における働き方改革
第7章 高校・大学の一体的改革と義務教育
第8章 「出藍の誉れ」時代を創造する学校教育
重要なのは、第1章から第3章までがすべて改訂に至るまでの社会的な背景とこれまでの学習指導要領や学力観が変遷してきたかという解説であることだ。
今回の改訂は、三度目の歴史的な大きな改革であると言われるが、そのあたりの事情もこれまでの中教審などの資料に基づきながら俯瞰して説明されている。
特に第2章の学習指導要領の変遷や求められる学力観の揺れ動きの解説は、現場で日常に追われているとなかなか理解しにくいことである。学習指導要領が法的にどういう構造を持っているか……ということなどは、知らないでも済ませることはできるけど、知っておくことで色々なことに気づくのです。
なお、もう一つ、学習指導要領を理解するうえで白眉なのがP.9からP.11の「本書を読み解くキーワード集」である。今回の学習指導要領に関わる資料が見事に整理されている。学習指導要領関連の答申はバラバラに出ているので、追いかけることが難しい面もあって……こうやってリストアップされると非常に便利。
学習指導要領なんて関係ない、学校は学校だけであればいい、自分のやりたいことをやればいい……そのくらいの理解では教育に対する責任は果たせないと思い知らされる一冊である。
一方で、きちんと「使いこなす」ことで教員や学校がオーナーシップをもって、創意工夫を発揮して自分たちの教育を実現できるのだという叱咤も感じる。第5章で大量の先進的な実践の紹介が行われていますが、これはまさに「使いこなす」ことで実践を作りあげた例である。こういうことを目指せるのだという熱いエールである。
読み方は結構難しい
本書は語りかけてくるような平易な文体で書かれているので、比較的読みやすい。
しかしながら、なかなか読みこなすのは難しい気がする。というのも、易しい語り口でありながら、まさに官僚らしいというべきか、ガチガチに法的な根拠や構造から学校や教員の義務を迫ってきたりする一方で、熱の入った、おそらく合田氏自身の思いこもった私的な見解が混ざっていたりするので、どこまで事実として受け入れて、どこから批判的に考えればいいか迷う(笑)。
どうしても全体を俯瞰する書き方になっているので、焦点はボケているので、目的意識や課題意識がないとなかなか得るものがないかもしれない。特にノウハウを求めて読むならほとんど意味をなさない。
また、おそらく教科教育の言い分からすれば、ちょっとそれは違うでしょう…と思うようなこともある。例えば、文学教育に関して
契約書のような実務的な文章を出題することにより、子どもが「行間を読む」ための潤いのある国語教育が崩壊するとの指摘が一部になされています。しかし、高校の新しい学習指導要領においては、文学や古典は全く軽視しておらず、ぜひご指導いただきたいと思っております。(中略)我々大人が今改めて立ち止まって考えるべきなのは、子供たちが『山月記』やその行間を味わう前に、本当に『山月記』を理解しているかということです。基本的な語彙がわかっていなかったり、「かかり受け」が理解できなかったりで、『山月記』が理解できない可能性もけっして低くないと思っております。このことを等閑視して、高校国語を教える側の論理で『山月記』を指導すること自体が自己目的化しているとすれば、それは問題ではないでしょうか。(PP.152-153)
文学に対する扱いへの回答は大滝一登氏とほとんど同じである。まあ……現場の人間からすればほとんど意味がない。入試の縛りなどからすれば自然消滅する可能性の高さを感じざるを得ない。文学界隈の言い分もあまり賛同できないくらいには偏っていると思っているのですが、この回答も同じくらいに雑である(紙面の都合もあるし国語科の本ではないので当然であるけど)。
この言い分は新井紀子氏のRSTに大きく影響されて出てきている解釈であろうと感じる。これもまた現場で『山月記』を教えている教員たちが色々と苦戦しながらも、きちんと理解を深めてもらえるように悪戦苦闘していることや、工夫されていることからすればちょっと乱暴な主張である。高校の一部の教員に文学は文学だから価値があるから四の五の言わないで教えればいいという人がいるのも事実だが、多くの教員は生徒の実態と定番教材の価値とのバランスを考えながら悪戦苦闘しているのだしね……。
まあ、これはメインの話ではないし、この本は教科教育の本ではない。だから、本書の目的からすれば大きな傷ではないのだけど、こういうところに過剰反応するのが自分のような頑なな現場の教員であるので、せっかく色々な情報に優れている本書が、貶められないか心配なのである。
その意味でも、読み方が難しいとも言える。
しかし、ここ数年で有名になってきた多くの実践をこれだけ数多く触れながら、今までの学校と繋げようとしている一冊は他にはない。
まずは全体を掴むために、自分の興味あるところや手薄な理解のところを拾い上げて読み深めるのがよい一冊だろう。