ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

静かなふりかえりの時間

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一学期の授業も終了間近です。

一学期の学習のふり返り作業を授業で時間を取って取り組んでもらっています。

デジタル化の副産物

今年から本格的にChromebookを導入して授業で活用している。

その副次的な作用として、授業の配布プリントを全てデジタル化してGoogleドライブで共有しているということがある。そもそも課題提出がノートではなくデジタルでの提出も圧倒的に増えたので、生徒の手元に時系列で自分の成果物が残り続けているのである。

紙で配付していると、割とマメな生徒であっても既に提出し終えたプリントを手元に残していないことが少なからずあるし、そもそも授業が進むと紙は荷物になるので捨てないとしても学校に置いておかないということがある。

でもデジタル化しておけば、手元にいつでも閲覧可能な形でデータが残り続けるので、こういうふり返りの時間に、ちゃんと見返すことが出来るのである。

高1については4月からのたった三ヶ月ではあるが、デジタルでこまめにゴリゴリと書き物をさせていると、結構、こうしてふり返ってみると色々な蓄積があるのだなぁと感じる。

こちらがデータで送っているもの以外にも、生徒自身が授業のドキュメントで記録を残していたり写真で板書を残していたりするので、一学期で生徒が蓄えているデータ量は想像以上に多いのだ(ちなみに、四月からタブを一度も閉じたことがないという生徒が発覚。……恐ろしい)。

気軽に書いては残しているものだから、結構、散発のデータが大量に出てくるのだなぁと思うのである。

ポートフォリオ?学習記録?

自分のまとめさえているふり返りは、大福帳のまとめを軸に、その時々に自分たちが何を思い出してもらって、その時々の自分に対して思うことをちゃんと言語化してまとめてもらうことである。

最近の流行としては質的な評価の一環としてポートフォリオなんて話もある。

自分の貯めてきた物をちゃんと意味のある形で整理して、アウトプットする。特に国語は自分がどんな勉強をして、どんな成長をしたかをつかみにくいから嫌われる節があるので、ちゃんと毎日の少しずつの作業で自分の考え方やものの見方が変化していることをちゃんと自覚する機会が必要なのである。

国語科の場合は、ポートフォリオという横文字を使わなくても古くから学習記録の大村はまの実践があり、それに倣った多くの先達たちの実践がある。

さすがに大村はまの教室の学習記録のような大著のようなふり返りを自分が組織する力はない。…現実的に、生徒のしなければいけないことがインフレしている現状に於いては、なかなか国語に割けるエネルギーの限度は感じる。とはいえ、ちゃんとふり返る時間を持つこと、そして自分の学びを自分で意味づける時間は大切だ。

ふり返りは静かに

自分の学びの足跡を掘り起こし、ひもといて読み解いていく時、生徒の様子はとても静かで穏やかだ。

結構、自分のやってきたことをふり返るのは分量が多いので大変だろうけど、ちゃんと自分の足跡を見つけてふり返る作業は楽しいようである。

静かに黙々と読み返しているけど、嬉しそうな、そういう穏やかな雰囲気があるものである。

忙しいので、短時間しかとれないけど……少し持て余すくらいの時間を取ってやった方が良いかもしれない。

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