授業アンケートなんてちゃちな話ではない。
一年の足跡
毎回の授業で生徒にはしっかりとふり返りを書いてもらっている。
その一年間のまとめを完成させて提出してもらう時期になったのだ。狙いとしては大村はまの学習記録……といいたいのだけど、あれほど高度な実践を自分に回す力量が無いので、簡易版で毎回の授業のふり返りのまとめを大福帳まとめノートとしてまとめてもらっている。
※学習記録の現代的な実践ならば前月の教育科学国語教育の埼玉大学附属中の廿楽先生の実践がとても分かりやすく、効果が上がっていてオススメです。
一年間の全ての授業のふり返りの記述を自分たちで読み直し、それぞれの単元でどのようなことを学んだのかを書いてもらい、そして一年間での自分の成長を自分の言葉で書いてもらう。
生徒の学びをこれだけしっかりと受け取ることが出来るのはとても贅沢なことです。
生徒が何を語るかは…
こういうふり返りの中で、生徒がどのような言葉を語るのかということは、まさに自分の授業が一年間で何を大切にしてきたのかということが試されているように思う。
自分が口癖のようにくり返し言っていることはやはり生徒は意識しているのかしていないのかは分からないけど、同じような口調でコメントに書いてくるし、授業のプリントや板書を丁寧に見直している生徒は授業で強調しているポイントをちゃんと自分なりの言葉でまとめ直して報告してきている。
もちろん、とても問題意識があって自分のいいたいことや語りたいことを一生懸命語る生徒もいれば、なかなか拙くて色々なことは書けない生徒もいる。
しかし、四月の当初のふり返りと、最後の記述を比べると生徒一人一人の確実な成長を見つけることが出来て、今年一年も何とか仕事の責任を果たすことが出来たなぁとしみじみと感じるのである。
達者に色々なことを考えて、教える側の想定を飛び越えていく生徒がいることも嬉しいが、朴訥ながらも一生懸命、学ぼうとして言葉を選ぼうとしている生徒、苦手であっても一生懸命に書こうとしている生徒、そういう生徒に喜びを感じるのだ。
生徒の忙しいことを理解しながらも、つい限界まで求めるような課題を出してしまう。それをふりかえって「つらかった」と述懐するのは、生徒の本音なのだと思う。すまないねぇと思いつつも、その重圧に耐えて、少しずつ自分の言葉が語れるようになった姿には頼もしさすら感じる。
牛歩のような
成長の差異を見てみると、非常にゆったりとしたものである。いくら授業時間があっても足りないのではないかというくらい微々たる変化だ。
でも、そのような牛歩な変化であっても、少しずつ先に進めるようになっている、前に進む力の強さに、担当としては心強さを感じるのだ。