来週から授業が始まってしまうので、自分の思考のメンテナンスがてら自分の授業づくりの工程を書き出してみます。
思考のメモですね。時々、書いておくと後から読み返すと微妙に変化があるから面白い。
そして、他人との違いで意外なところで役に立ててくれる人がいるのも面白いところ。
年間指導計画から
授業をどこまで自由に出来るかは、一言で説明するのは難しい。
究極的には学習指導要領の指導事項を網羅する(ことになっている)ので、年間の授業で何をどのくらいやるかは年度が始まる前に年間指導計画やシラバスを作ることである程度決まっている。
しかし、実際の一つ一つの単元や授業については、その時のスタッフの配置や生徒の実態で作り替えることは出来るので、ある程度の裁量はあるとも言える。
好き勝手は出来ないけど、使う道具や材料は自由に出来るし、どのようなルートで進んでいくかも選ぶことは出来るという感覚だろうか。
だから、授業を考えようという時に始めにやることは何かと言えば、年間指導計画と学習指導要領をにらめっこして、今回の授業で使えるカードはどれかということを考えることからだろう。
もう少し具体的に言うならば、「どのような力をつけるか」ということとそれに見合った「評価規準」を考えることからスタートすると言える。
単元の材料を集める
ゴールのイメージをある程度つかまえたら、次は単元や授業でどのような素材を使うかを狩猟するターンである。
もちろん、予め見つけておいた材料を、温めておいて満を持して提案するという場合もあるのだけど、自分の場合は年間指導計画の関係や横の担当者との関係や生徒の成長度合いということもあるので、やはりその時期ごとに色々な材料を集めるようにすることが多い。
その場合に「教科書」をどう扱うかという問題は結構重い。
どうしても横の担当者がいる場合は、教科書の文章を無視する訳にもいかない(そもそも年間を通じて全く教科書を無視することも色々と問題はある)。
比較的、毎回自分が苦しむのが教科書の扱いに困るというパターンが多いのだが、それでも教科書のレベル感や配列は生徒の発達段階のめやすとして参考にすることは多いため、苦しみながらも上手く取り合わせられないかを考えることになる。
だから、基本的にはひたすら何度も教科書を読むということが多くなる。
これは余談だが、今年度から「現代の国語」のように教科書が変わったのだが、「言語活動」をさせるための文章が増えたように思う。ただ、その選び方がイマイチ「読解」を捨てきれないで中途半端な感じがあるので、なかなか扱いが難しいな…と感じている。
話を元に戻すと、教科書とにらめっこしながらその単元で使えそうな素材を大量に集めるのがこのターンである。
生徒の実態を見返す
材料集めとほぼ同時進行に行うのが生徒の実態の確認である。
過去の提出物を読み返したり自分のつけた評価を読み直したりすることで生徒が今どのくらいの地点にいるのかということを何度も考え直す。
そして、その授業での目標に対して何を手立てとして打てば生徒の力を目指す方向に伸ばすことが出来るかということを考える。
だいたい、「こういう活動のポイントはね…」と一から十まで説明するような単元構成にする時は上手くいかない。上手く生徒の実態と単元の素材が噛み合っている時は、ほぼ説明しなくて、お題だけ渡せば必要なことを生徒自身が選び取って何度も単元の中で実践していく。
やることを説明しなければいけないような単元構成の時は、やっぱりどこか無理がある。生徒の実態をよくよく把握し損ねるとこういうことになりやすいという自覚がある。
授業のてびきをつくる
そうしてだいたいのイメージが固まってきたら、まずは気楽に生徒向けのてびきを書き出してみる。
てびきを書くことによって単元全体の流れがだんだんと固まってくるので、何をしたらよいかが見えてくるし、何の準備が足りないかということが見えてくる。
ポイントとしては指導案からは書かないのが自分の好みである。指導案から書くと理屈で生徒の実態を外しても単元を作れてしまうような感覚がある。
実際に生徒に渡すものを先につくることで、生徒への無理が分かるような感覚がある。
ある意味でてびきを作ることは教員見本を作ることも兼ねている。てびきをつくりながら、そのてびきで目指す言語活動が実現できるかを考えるのである。
授業する、そしてやりなおす
そうしててびきを作り始めると、授業まではひたすら微調整である。
文言であったり授業での伝え方であったり、そういう細部を詰めていくのである。
そして、いくら生徒の実態と必要なことを考えて授業に臨んでも、生徒に渡してみるといつだって予想外の反応が返ってくる。
そういう生徒の反応を全部受け止めて、もう一度、授業や単元の構成を調整していく。行き当たりばったりでやっているわけではないけど、いつだって思い通りにならないのが授業である。
……考えてみると、授業案を書いて、その通りにきっちりと授業をやるという研究授業を久しくやっていない。これはちょっとトレーニングとしていかんかも?
基本的に逆向き設計の発想
ここまで書いてきて何ですが、自分の授業づくりの発想は結局、逆向き設計の発想なのだと感じます。
三つ子の魂百まで。ではないが、院生の頃に触れていたことが大きいですね。
だからその意味では次の本も共感はできる。
授業で何を目指しているかを見失わないということの難しさを日々感じるところだ。