ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

模試の成績を眺めるなど

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年度最後の模試の成績が出そろう時期である。そんな数字を眺めながら自分の授業とその成果を考える。

やったことは成果が出る

一回一回の授業や模試くらいのスパンでは、授業でやっていることが成果として出ているのかそうでもないのか、あまり分からない。まあ、だいたい毎回、予想したような幅に収まるし、極端に悪くなることも極端に高くなることもあまりない。

逆に極端な数字が出るときは、分かりやすく原因があるときであるので、どちらに触れても数字以前に自覚されるものがあるのである。

逆に言えば、どんなことやっていても数字としては極端に現れないので、油断して生徒が出来ていないことや自分の授業から抜け落ちていることをフォローすることを忘れてしまうのである。

そうして、気づいたときにドッカンと成績に差がついて、補修する改善することが難しくなってしまうなんてことはまあまあ起こる話である。

ただなぁ…模試が何を図っているのかってあまり信用ならないよなとは思っている。シンプルに知識量の多寡ならば、模試でも測れるのだろうけど、最近の模試は何だから観点別評価もどきを導入して「知識・理解」と「思考力・判断力・表現力」を分けて表示しており、あたかも「思考力・判断力・表現力」を測るかのような言い分をするのだが……日本語としてもおかしくてもキーワードが入っていれば部分点が入るような採点で何が「思考力・判断力・表現力」なのだろうと思うことも多々ある。

記述問題をさせれば「思考力・判断力・表現力」が測れるモノではない。

だいたい、国語の模試のふり返りで書かれることは「記述問題ができなかった」なのだが、模試の問題で書く力を測れているとは思いたくもないんだよなぁ……あれば、それなりに書けるのも事実だけど、模試の答案が書けない原因は問いが悪いこともままあるしね。

それでも、一年間、授業で書かせることを何度もやらせていると、空欄では出さなくなるので…まあ、空欄率くらいはちゃんと見ておこうか。

一年間で変化は出る

あまり本腰入れて模試対策はしたくない。…とも言ってられない事情もあるのでコツコツとやる。

模試で点数が取れないで慌て出すと、塾や予備校に通い出す生徒が出るわけで……そうなると、しっかりと時間をかけてやってほしい読んだり書いたりという時間をただの問題演習に持って行かれるのは業腹である。

入試の対応が出来なければ、生徒に対する説得力が無いのはもちろんだけど、入試よりももっと幅広いことが国語の授業の責任としてある。

例えば、いくら「話すこと・聞くこと」をやってもノー天気に「入試に役立つ」なんて言うのは難しいけど、入試に役に立たないからって「話すこと・聞くこと」をやらないなんて無責任な話があっては困るわ。

精読やっていれば話せる、聞けるっていうのもあまりに牽強付会だし、知識が無ければアウトプットできないてっていうのも生徒の能力を安く見積もりすぎである。

我慢強くやれば、ちゃんとバランス良く育つのだよと、結果を出すことで言い続けたいところだ。

 
 
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