一週間後にはもう授業をしているはずなので、机に座って頭を抱えて授業準備しています。
今こそ「話すこと・聞くこと」
二学期をどこから始めるか…ということのスタートの方法を悩んでいる。
カリキュラム的には何をやるかは決まっているので素材集めが中心になるが、スタートについてはどうすれば良いのかということに悩んでいる。
ちょっと「話すこと」をやるには感染状況が不安ではあるのだが、少なくとも今の時期だからこそ「聞くこと」ということに力点を置きたい気持ちがある。
「きく」ことは、考えることに直結し、そのきき方によっては思考の拡充、深化にも及び、言葉の力を育むことにつながる。そう考えれば、「きく」ことの指導がいかに重要かと今さらながら思い至る。(上掲書 P.157)
まさにこういう気分である。
模試の成績が返ってきて、「模試の成績をどうにかしろ」という話を言われて、うんざりとしたからかえって今の生徒の実態を思い返し、むしろ模試の得点などよりももっと思考の根幹的な「話すこと・聞くこと」の授業が必要だよなぁと思うのである。
二学期は長丁場であるし、生徒同士の関係にも緩みが見える時期である。要するに自分以外の他者の存在が軽くなる時期である。
だからこそ、ちゃんと「対話」することでそこに居る他者の存在感を手触りとして実感して欲しいと思うのである。
「話すこと・聞くこと」の授業の最大のコツ……それは、話す・聞くに価する話題を授業で用意すること。
それが分かっているだけに、何を対話するべきか…ということに頭をひねっている。
対話の先に
ICTの利活用を考えると、必ずデジタル・シティズンシップ教育は避けて通れなくなるだろうと思う。
デジタル・シティズンシップ教育の根幹を支える「市民としての対話」を担保するのは国語科の仕事ではないだろうか。ちゃんと他者の受容と自分の意見の発信という手続きを取り立てて指導できるのは国語だろうと思う。
デジタルの教育の時代だからこそ、割と泥臭く、アナログに技術の練習の価値は考えておきたいところですね。