授業の振り返りを書いてもらった。
違和感ある?
今日の授業は、生徒のレベルに合った課題を出すことができなかったことが反省点であった。授業中に一時間が終わってしまった生徒が多かったことからも、生徒たちに十分な挑戦意欲を引き出すことができていなかったことが明らかであった。このような状況から、生徒たちのレベルに合った課題を出すことが大切であることがわかった。
次回の授業では、このような状況が再度起こらないように、生徒のレベルに合った課題を出すことに努めるつもりである。また、生徒たちの挑戦意欲を引き出すように努力することで、生徒たちがより多くの学びを得られるようになることが期待される。授業を通じて、生徒たちが興味を持つことができ、学習に対するモチベーションが向上することを願っている。
今回の授業の失敗から学ぶことは、生徒のレベルに合った課題を出すことが大切であるということである。生徒たちの挑戦意欲を引き出すことができなければ、学習効果が減少してしまい、授業に対する興味も低下することが考えられる。そのため、次回の授業に向けては、生徒のレベルに合った課題を出すことを心がけ、生徒たちにとって有意義な授業を提供できるよう努力することが大切である。
教育実習生みたい?
なんだか教育実習生の教育実習簿みたいな内容が書いてある気がする。
これを書いてもらうに当たってこんな指示を出している。
作文の授業が上手くいかなかった設定で振り返りを書いてください。授業中に出した課題が生徒のレベルにあっていないために、書けないまま一時間が終わってしまった生徒が多かったのが反省点です。次回に向けての目標を設定してください。また、最初に適切なタイトルをつけてください。
「設定で」とあるように上の振り返りはフィクションです。
これは昨日に引き続き、ChatGPTで書いた文章です。今日のブログのタイトルもChatGPTに考えてもらっています。
どこまでが自分のオリジナル?
こうなってくると、自分のオリジナルの文章とは?という問いが非常に重くのしかかってくる。昨日も少し触れましたが、これでは使い物にならないかもしれないけど、ここから少しずつ自分の言葉に換骨奪胎を繰り返していったとき、その文章はどこからが自分のオリジナルと呼べるようになるのだろう?
文章版、テセウスの船のような……?
ゼロからは書き始められないけれど、補助線として文章があることで確実に自分の思考をクリアにできるような場合も考えられる。
一概に否定も出来ないけど、安易に扉を開いてしまうと、精神があっという間に劣化してしまうような気もする。
情報の吟味をする技術が逆に一周回って強くなるのかもしれない。
この文脈で「文学の力を…」という話題も出てきそうな気もしますが、文学教育はこの方面では戦わない方がよい気がする。