ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

初々しさのあるころ

授業のアイデアは全く降りてこないのだけど、こういうときは生徒の書いている文章をあれこれと眺めてみるのがいい。

そうすると、新入生の時期にだけ見られる色々な面白いことに気づくのだ。

個人差の大きさ

高校に入学してくる生徒たちは、それぞれに様々な言語的なバックボーンを持っている。本人達はそれほど意識していることはないだろうけど、子どもの頃からの習慣だとか、中学校の授業でやってきたことや受験勉強でやってきたことがかなり反映されているように見える。

また、本人の生まれ育ってきた気質のようなものも見える気がする。

器用に課題をまとめていて文章としては整っているけど一枚皮をめくると中身があまりないものを無自覚に書いてしまっているなと思う物がある一方で、一生懸命、自分の言いたいことがあるのだけど書いているうちに迷子になってしまっているものもあり、そういう違いを微笑ましく思うのである。

ある意味で高校の授業できちんと読み書きができるように「していく」ということは、生徒のこういう個人差を刈り込んでいくという行為である。

器用にまとめているだけで思考が足りていないものはちゃんと考えるようにすれば直線的な成長として見取りやすいけど、自分の言いたいことがあってあれやこれやと迷走しながらも一生懸命書こうとしているものをキレイな形にまとめてかけるようにする中で、元々持っていた文章の生命力が失われてしまっていくような気がしてならない。

自分が「よい」と思うことの方向へどんどんと矯正していくような不自然さを思うのである。

本当の授業の達人になれば「よい」文章の形を生徒に伝え、その形を追究することに生徒の強い動機があって、めきめきと力を付けていくのだろうけど……自分にはそういう技術はまだ無いのだ。

生徒の成長を予期して楽しむ

今は荒々しい生徒の言葉が、三年間という時間を重ねることで確実に進歩していく。毎日の課題や日々の言葉遣いではなかなか変化が見られないところのものを、他教科の先生が目を離している隙に、毎日生徒からつかず離れず言葉に付き合っていく。

そういう地道な日々のスタートだと思うと、なかなか感慨深い。

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