ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

何を狙って授業にするか…

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いつもの事ながら、授業の単元が始まるまで本当にこれでいいのかの決断が出来ないでグダグダと文章とパソコンの画面と睨めっこをしている。

生徒の様子をイメージしながら

たいてい、授業の準備が苦しむときは生徒の姿が見えていない。その素材を使って、どんなことが出来るのかのイメージをはっきりとしきれていないことが多い。どうしても高校の現代文の素材だと、日常的な言語からは離れたところにある話題を振れざる得ないこともあるので、生徒の実態に即して…ということが苦しくなってくることも多い。

逆に言えば、年がら年中、生徒の生活にべったりとしているだけでは見えないような問題まで扱わなければいけないだろうとも思う。そういうときに、どうしても生徒にとってどのようなカタチで素材と出会ってもらえれば良いかということが迷走するのである。

究極的に、どうしようもなくなったら、自分がかみ砕いて「読解」をして見せることになるのだが、たとえ、生徒の反応が良くても、なかなかそれが生徒の中で永続的な理解になったという実感も無ければ、模試などですっかり知識としては忘れてしまうことを考えると、奥の手だなと思うのである。

割と授業でとんちきな事をやることも多いのだけど、生徒がいつのまにか素材に没頭して、与えられたものであることを忘れているぐらいに、色々とやるようになったものは、やはり定着はよいのである。

あぁ…教材研究でちゃんと自分がもっと資料を揃えられれば、毎回、生徒が没頭して課題に取り組むだろうに…と思うのである。ましかばまし。

カリキュラムの都合上で、自分が同じ素材を何度もやっているのが良くない。大村はまは同じ素材は用いなかったと言うけど、それは新鮮な気持ちで向き合うためにだそうだ。その言わんとすることを実感させられている。

日本の教師に伝えたいこと (ちくま学芸文庫)

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  • 作者:大村 はま
  • 発売日: 2006/08/01
  • メディア: 文庫
 

同じ素材だから授業が楽……いやいや、教え方に先入観が出来てしまって、かえって酷いことになっているのが自分です。

カタチから入ろう

何でもかんでも一つの方法論で解決できるわけではない。能力は簡単には転移しないのは言うまでもない。

読みたくもない文章を読ませられるのが学校の教室という場であるが、その強制だけでモチベーションと学びに向かう姿勢を教えられるほどに強力な権威を持っているわけでもない。

同じ強制をするならば、だんだんと、生徒が強制されているという感覚から自分のものへと置き換えていくことになるような課題を設定できないものか。

難解で抽象的な文章を読むスキルはどこかでちゃんとまとめて教えられないと難しい部分もある。

難解な本を読む技術 (光文社新書)

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  • 作者:高田 明典
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その一方で、授業という場が、できるだけそうして教えられたスキルの実践の場に出来ないものか。実践の場は、強制されているだけでは開花しないのである。

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