中間考査までがやたらと長かったのに対して、期末考査はやたら早く来て、考査のネタがないのと、授業数がやはり月曜日にある授業は厳しくて…。
固執しない
授業数が足りないという嘆きは毎度のことである。まあ、国語科受難の時代(当社比)である。
色々と授業で経験して欲しいことはあるのだが、それをじっくりと一から練習できるだけの余裕がなかなか得られないでいる。でも、無理を押し通してでも経験してもらうのだけどね!
つい授業の活動が「精読」や「清書」に偏りがちなのだけど、もっと地道な「構想」の部分を支えるような、「乱読」「拾い読み」「飛ばし読み」や「殴り書き」「書き直し」のような過程を授業の中で可視化していきたいところである。
実際に、何かを生み出すための思考が格闘する場面を授業で可視化してみたいと思うのである。しかし、当然ながら×30人を同時に見取ることが出来ないから、ただ、混沌と活動させるだけではダメなので、さて……何か良い方法はないかとなる。
効率だけを考えるのであればワークシートは非常にラクである。しかし、ワークシートに依存していると、生徒が活動しているように見えて、ただの「作業」になっていることも少なからずあって、あまりワークシートでどうにかしようとするのは望ましくないだろう。
結局、生徒の様子や書いているものを素早く見抜くことが必要である。
授業中にぐるぐると生徒の間を先生が回るってやるじゃないですか。机間巡視なんて言い方します(いや、最近はそうでもないか。机間指導かな。)が、30人いたら、1人1分なんてもちろんかけられないわけで、パッとみて、誰にどこを指導するか決めないといけない。まぁ…なかなか不合理であるが、慣れてくると、見えてくる部分もある。
想像以上に…
そういう多様な活動を目指していると思うが、やっぱり大村はまは超人である。
『大村はま国語教室』に出てくる活動の多様さと、その生徒の活動の多様さをしっかりと見抜いて文章にまとめている鋭さ…。
大村はまの著作を読み直しているが、やっていることも凄いんだけど、それ以上にやっぱり、生徒に対する深い理解と確固たる信念があるから、ブレないし堂々と言えるのだなと思うし、生徒の言葉を丁寧に掬い取っていることもわかる。荒んだ気持ちの時に読むと、丁寧に向き合おうと思うのだ。
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年11月21日
結構、厳しくあれはダメ、これもダメ、それじゃああんまりだ…などのように生徒に介入するのだけど、その一部の強権的に見える指導以上に、生徒がのびのびとしていくためにどんな姿で接そうとしているのかがイメージされる。
自分にはとてもできない。自然と、必要な場所に姿を消して入り混むような……そんあ、鋭い見立てや生徒を支える手立てが乏しいのだ。