授業準備のために生徒から集めた記述を手作業でより分けています。
慣れに注意するために
国語の授業で何を教えているのかということは非常に難しい。ちゃんと言葉を考えるということに向き合おうとすると、授業準備がいつまで経っても決心できないのである。
一方で、授業をちゃんと考えようとしないと、今まで教えてきた経験で「だいたいこんなものだろう」と生徒の様子を見ないでやっつけ仕事の授業を作ってしまう。
授業でちゃんと「国語をする」とはどういうことだろうか。
自分が読み慣れている素材であればあるほど、自分の先入観で「だいたいこういうことをやっておけばよいだろう」とやってしまいがちである。もちろん、定番教材であれば「こういうことを教えておきたい」というラインがある。その定番教材で押さえておくことを押さえることで「ちゃんとつけたい力をつける」ことに安定感があるので、定番の教え方をやりたくなるのである。
しかし、それに甘えていると、本当に生徒の姿が見えない授業を作ってしまうのでダメだ。
授業を回す準備は、勉強じゃないんだよって忘れがちだけど
— ロカルノ (@s_locarno) 2021年2月16日
何を教えているのかということを忘れがちになる。
自分は文章を読むことについては、基本的には素人なのである。国語科教育の観点や日本語学の観点は勉強してきたけど、根本的に読むということや作品ということについては理解がやはり足りない。
自覚はしているんだけど……根本的に本を読むのが好きではないのかもしれない。