「初等中等教育段階における生成 AI の利用に関する暫定的なガイドライン」で昨日、日本の方針は見えてきました。
昨日もブログで話題にしたところです。
割とこの手の話にしては日本なのに前のめりな活用の方向性が示されたように思います。
ちょうど折しもユネスコでも生成AIについての文章が出ていました。
”Generative AI and the future of education”
(https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000385877)
かなり慎重な姿勢
あまり自分が英語は得意ではないので、ざっくりと眺めたりDeepLに入れて読んだ印象論に過ぎない。それこそ、ChatGPT4のプラグインをフル活用しながら読んでいるところ…。そんな貧相な英語力で読み取った内容としては、文科省の方針が前のめりなのに対して、割とこちらの文章の内容は「慎重論」になっているということです。
全体にわたって生成AIについてのリスクが述べられており、教育への適応についてはかなり慎重に考えることを言っている印象です。
文科省の方針が割と活用に踏み込んで例示していたのに対して、結構、インパクトのある差である。
実際問題として、リスクやデメリットについては「まだ正確なことは言い切れない」という現状なのであろう。そういう状況を思うとこちらの文章の立場はある意味、正しいリアクションなのだろう。
慎重論でも発想は…
ただ、慎重論であっても、管理主義的な色彩とは違う面もある。
例えば
"Education systems need to return agency to learners and remind young people that we remain at the helm of technology.There is no predetermined course."
(Page 4)
というような記述があるように、これまでの教育のパラダイムからの変化を前提とした上で、生成AIの可能性を探るような方向性が述べられている。
その前提として「学習者中心」主義的な生徒の学び、エージェンシーを重視する現在の教育の流れも踏まえつつある議論だと思われる。
逆に言えば、文科省の方針が「活用」の具体が多かった分だけ、こういう教育制度そのものの価値転換についてはあまり見通しはないようにも思われる。「暫定的」とあるように、当面の使い方についての議論なので、今後「あり方」そのものに関わるような議論は出てくるのだろうと思うし、出てくる前であっても現場の教員であれば考えておきたいことかもしれない。