昨日、今日、ニュースで結構興味深いニュースが流れてきた。
文科省のウェブページを見てもどこがソースなのかイマイチわからなかったのですが、忘れないうちに感想をメモしておこう。
地域と高校
まずは昨日のニュース。
文部科学省は来年度、高校を拠点とした地方創生事業を実施する方針を固めた。地域が抱える課題の研究や、実践的な職業教育を実施する高校を公募し、50校程度のモデル校を指定する。高校が地域振興の核となるよう教育機能を強化する狙いがある。
地域創生という観点から、高校に積極的な役割を期待しようという試みである。読売新聞によると、50校のモデル校のうち、「地域魅力型」「プロフェッショナル型」「グローカル型」という三種類に分けで公募をするそうだ。
もともと、一般社団法人未来の大人応援プロジェクトやOECD日本イノベーション教育ネットワークのような取り組みが行われており、高校生の力を地方創生に活かそうという試みは少しずつ注目度が上がっている。
詳しくは
人口減少社会と高校魅力化プロジェクト――地域人材育成の教育社会学
- 作者: 樋田大二郎,樋田有一郎
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 2018/04/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
などの本を読んでもらうとかなり雰囲気は分かるのではないかと思う。
詳しい分析としてはちょうど
こんな記事も挙がっているので参考になるだろう。
どのような展開を迎えるのかということについては、まったくこのニュースのソースが自分には見つけられないので何とも言えないのだけど、記事を読んだ感じのイメージだと好意的に見守りたい。
【追記】次年度の概算要求に出てきました。
何度もいうけど自分はいつかプロジェクトベース学習が実現することを期待している立場だ。
また、上の自分のブログでも紹介した経産省の「未来の教室」とEdTech研究会第1次提言の中で、実業系の高校でSTEAMを意識したプロジェクト型の授業の開発と実践、そしてそれをブラッシュアップして普通科高校や小中学校に広げていくことも可能なのではないかという旨のことが書かれている(P.10)。
それと同じように、プロジェクト型の学びが色々と開発されていくのではないかというワクワク感を覚えるのです。
今あるプロジェクト学習のパッケージは、何度か自分も触れているが、多くの場合は、お飯事のような生徒の生活や問題意識とは切り離されて、教員が楽をするためだけのものに過ぎない*1。
「地域」の問題には当然ナイーブなものも含むため、簡単にあれもこれもすぐに取り入れられるわけではない。しかし、子どもたちがまさに直面している問題に、真正面から時間をかけて自分の学びを深めつつ、課題解決に挑戦していくという学び方が普通の「高校」で実現されるとしたら、それは大きく学校というパラダイムが変わるのではないだろうか。
ミネソタニューカントリースクールのPBLのように、自分にとって切実な問題をプロジェクトとして選びながら学ぶ可能性が、そして地域から評価を受け、地域に成果を返しながら、学んでいくことが可能になるとしたら、それは非常にワクワクするのである。
難しい問題もある。さすがに、普通科のすべての学校が、このモデル事業の事例を輸入し、プロジェクトベース型の学校になっていくとは思わない。ただ、だからといって、大学に進学しない生徒にはプロジェクト型中心、大学進学者には授業中心のような分断で終わってほしくないと切実に思うのである。
AIと授業
そして本日8月21日にはこんな記事も流れてきた。
子供の「つまずき」解析、個別指導にAI活用 : 科学・IT : 読売新聞
文部科学省は来年度から、人工知能(AI)などの最先端技術を教育に生かす「EdTech(エドテック)」の実証実験に乗り出す。子供たちがどんな問題でつまずくかといったデータをAIで解析し、一人ひとりに合った指導法につなげる狙いがある。
ツッコミどころはあるのだけど、これもどこがソースなのか分からないのでコメントは差し控えますが、苫野先生のコメントが重要だろうと思う。
なんと読売新聞1面。「学びの個別化」は不可避の方向性だと思います。ただし「孤立化」になってはいけない。「協同」との融合、つまり「ゆるやかな協同に支えられた個の学び」が必須。→子供の「つまずき」解析、個別指導にAI活用 https://t.co/F8pX7xOATh
— 苫野一徳 (@ittokutomano) 2018年8月21日
「孤立化」ではなく、「個別化」である。
なぜ、孤立してしまう可能性があるのか。それは、以前に紹介した文科省の合田氏の「これまでの教育は、自分の頭の中に知識のタワーを築いて、それを誰にも渡さないという学習スタイル」*2というコメントに象徴される学びに対する価値観が問題なのだろうと思う。
知識を渡さない、渡す必要もない文脈に、学校が閉じていったときに「誰にも渡さない」という孤立が起こっていくのではないだろうか。
それを解決するためのヒントとしては、一つ目のニュースの地域の課題をプロジェクト化して学校の学びにしていくこととこのAIによる学習支援の話が結びつくことにあるのではないだろうか。
何のためのAIによる支援か、個別化か。それはプロジェクトに十分に時間をかけるために、今の一斉授業を最小化するためという方向性はどうだろうか。自分はその方向で本当に切実な課題が教室にもっと採り入れられることを期待している。
教員への宿題
あまり報道が下火なせいか、自分の周囲ではこれらのニュースがあまり話題になっていない。話題になっているのはAIロボットが授業するという話であるw。*3
さて、プロジェクト型の授業なり、授業の課題はAIなりが自動で準備してくれるようになった、その時に「教科」の専門性だけが、本当に教員の専門性でよいのだろうか。
まあ、全てがなんでもかんでも極端に移行するとは思っていないけど、意外と早く来るかもしれないし、「教科」を教えるということが教科書をなぞるだけのことを教員の専門性とは読んでいられなくなるのでしょう。
何を教えるのか、教えたことをどのように評価するのか、学校としての役割は何か……色々なことが宿題としての残っているのです。無自覚に時間ばかり浪費してしまったら、みらいなんてあっという間に来そうな気がするのです。