ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

【メモ】授業と生成型AI

ChatGPTのタイムラインで話題になっていたので、朝から少しずつツイートしていた。

その内容をまとめてつつ、ちょっとした補足コメントも入れておく。

なお、まとめはツイートの時系列は無視しますし、取り上げないものもあります。

AIは授業の脅威になるか?

一番、自分の周りでよく見る話題は、「AIによってレポート課題や作文の課題は意味が無くなる」ということである。

一度、ChatGPTを使って見ると「それっぽいこと」をみるみるうちに生成してしまう様子はなかなか衝撃的に見えるだろう。

ただ、個人的には「書かせるもの全て」が無意味になるとはあまり思わないし、高校までの授業であれば、それほどその点は心配しなくてもいいだろうと思う。

授業で実際に子どもたちが「書く」というプロセスに取り組む場面に深く関わっていれば、どこにAIを使ってどこに自分で考えたのかということはおそらく把握できるだろうという肌感覚がある。

子どもたちの書いた部分とAIの書いた部分が判別不能になるほど、「こなれた」文章としてアウトプットされるのであれば、それは一つ上のレベルに書く力がついたのでは?とも思えるのである。

適切なタイミングで適切なツールや技術を教えたり、子どもたちの創造する過程において必要な相手や道具と橋渡ししていくのは教員の技術として磨けそうだと思う。

とはいえ、ポリシーを持って気をつけないと…

考えなくても、思考しなくても結果が出てしまうということは、やはり何となく気持ち悪い。その点がどのような影響なのかは自分にはまだ答えがない。

よくExcelやPowerPointが登場したのと同じという意見も目にするが……生成型AIはそこから更に一歩進んで、思考することも省略できかねないように感じる。もっとダイレクトに思考の仕方自体に影響を与えそうな気がする。

授業づくりとAIについて

これはちょっと放言でしたね。パフォーマンス課題やルーブリックを用いた評価は、もう少し厳密に考えるべきでした。

 

 

評価に用いるべきルーブリックについて、生徒の成果に基づいて指導者の評価自体を信頼できるものに鍛えていく過程はAIで省略してよいものではないですね。

上のtweetでのイメージは、予備的な事前のルーブリックについて、指導の経験値の少ない分野について、ある程度の妥当性のある出力をしてくれるAIによって「目処をつける」というようなイメージです。意味ある教育としてのメインとしては「教員と生徒の合意形成」の過程と「修正していく」過程だと思っています。

経験知や見立てがない事柄についても授業では取り扱わなければいけない場面はもちろんあるため、そういう時に予備的な手がかりをAIで得られないかというイメージです。

ただ、これもよく考えると、例えば「教師見本」を作ったりするような試行錯誤を「手間」として切り捨ててしまうようなことにもつながっていそうな気もしてくる。個人的には割と保守的な考え方をしている教員なので「生徒にやらせたいことがあるなら自分がまずは授業前にやってみろ」と思っているのだけど、そういうことをAIに代替させるみたいは話にもなりかねないので……うーん、使い方の問題かな。

 

 

アタリをつけるためにAIに大量に出力させてみるというところが今のところは穏当なのか?

 

 

余談

懲罰として作文を書かせているものについては、AIによって一掃されてほしい。指導として本当に行動変容のために反省文を書かせる過程に関わって指導を行っているのであれば、どうぞ続けていただいて構いません。むしろ、その過程に反省のための指導が機能しているのでしょうから。

懲罰として作文を書かせて、読みもしないような指導をしているのを揶揄しているのだ。

 

まあ…すぐに変わってしまうだろうし

こうやってあれこれと考えているものの、おそらくまた数ヶ月もすれば状況が変わってしまうだろう。今考えていることが杞憂みたいになることもあれば、想像以上に致命的な事態になる可能性もある。

規約上は生徒が利用するのは難しいのだけど……おそらく、なんやかんやと生徒が使い始めることも時間の問題かと。一気に「使われる」状態が広まったときに、どんな状況になるかを予想しつつ、困りごとよりも「こんなことができそう」という話を意識しておきたいかな。

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