ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

学会から帰ってきて日常

学会は人と会うことに意味があるように感じる。

やっぱり色々な人がいるから、色々と見えてくるものがある。

そうして日常に戻ってくると、自分が見落としているものが現場にも数多く転がっているのだと感じるのである。

日々の授業にしか

自分のような現場の教員は、何をどうやっても資料も足りなければ分析にかけられる時間も乏しいということがまざまざと感じられる。その代わり、目の前に現場があるからこそ、時間を書けて積み上げれば見えてくるものもありそうな気はしている。

自分一人では難しくても誰かの手を借りながらであれば、もしかすると何かを見いだせるかもしれない。

でも、そのためには「自分がここにいる」という発信は続けていかなければいけないように思う。

日常の授業をこなしつつ、誰かに分かるような形でまとめていくという作業は大きな手間である。終わった授業をいくら改めても明日の授業は回せない。しかし、終わった授業を丁寧に授業時間以上に見渡さなければ自分の授業の意味なんて、誰かが見つけ出してはくれないのだ。自分の授業は自分で意味を語るしか無い。

 

 

授業づくりネットワークが大切にしている授業記録を読み書きすること。そういうことの意味を学会から帰ってくると余計に強く感じる。現場の息づかいや見えている世界、そしてその当事者である子どもたちの姿の実態。そういうものを掬い上げていくような感度は必要になるのだろうと思う。

自分の授業を目指せば良い

授業研究、教育研究の話題は本当に多岐にわたるし、多様な場なのだということを学会で一覧すると体感できる。

自分の感度では気付かないような一面を上手くすくい取る人もいれば、逆に自分が大切にしているようなことも割と厳しく批判する人もいる。

こういうバラバラの価値観で、よく日々の授業というものが成立していて、そしてどこに行ってもある程度の質が担保されているのだということ、奇蹟すら感じてしまう。

あまり授業について自信なく、どうしたらいいものかは分からないのだけど、色々な関心がある以上、誰に後ろめたい気持ちになる必要は無い。自分のやりたい授業を目指せば良いのだろうと。

ただ、その時に自分の都合だけで授業していないかということは心に留めつつ。

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