コロナ禍もやっと下火になって、色々なところにも出かけていけるようになった一年間でした。
コロナ前に戻ったこともあれば、コロナ前に戻らないこともあり。
自分自身の生活は今年もボチボチ。大きな病気もなければ大きな事故もなく、平穏無事に過ごすことが出来ました。
なかなか思い通りにならないことや理想通りにいかないことも多いのだけど、こうしてボチボチとブログを書いていられるくらいには健康です。
外に出かけていくのが当たり前に
去年がぼちぼち外部でのイベントが増えてきたなぁという感じだったのが、今年は色々なイベントが当たり前に対面で行われるようになってきたなということ。
週末や連休中にだいぶ色々なところに出かけていきました。
今年は無事に日本国語教育学会や全国大学国語教育学会も対面で行われたものに参加できましたし、内向きの現場にいる時間が長かったこの数年を振り返ると、かなりのギャップを感じます。
オンラインだと精神的にサボりがちになる。家で視聴していると色々な横やりも入るので、やっぱりその学びだけに全力集中という形にならないのが実際のところ。
対面で時間を割いて、フルコミットすることで得られることは非常に多いのだ。
学会以外にも今年は結構、色々なイベントに出かけていったなぁという感じ。
数年ぶりにこうして外で活動してみると思うけど、基本的にインドアな自分にとっては移動でもかなり疲弊するということ。そして、体力が確実に衰えているので、あまり無理もできないなあということ。
ゆっくりとこうして年末に休んでいるのも、体力の調整のためには仕方ないところ。もっと体力のあるうちに学んでおけば良かったと思うが、また、来年に頑張ろう。
ますます自分の軸足が分からず
今年は教育現場的には生成AI元年でしたね。
そのため、自分の現場でも色々なことがありました。自分は新しいテクノロジーはすぐに試したくなる人なので、生成AIによって随分と色々な影響を受けてきた一年だったなぁと感じています。
生成AIの機能やできることにじっと向き合っていると、かなり国語の授業が浸食されてくるのではないかと思うのである。自分がじゃあ一生懸命に何かを準備することの意味とは何だろう?精神論ではなくて、何か示せるものがあるだろうか。
生成AIのおかげで大学入学共通テストのようなフィクショナルな話し合い問題みたいなものは意味が無いとなってくればそれはそれで良いかもしれない。(ただ、あの手の問題を頑なに出し続けるのは、授業のイメージを変えよという強烈な圧力としての意味があるのだろうとも思うので、そう簡単にはなくならないとは思うけど)
本気で生成AIを使おうとすればするほど、国語らしくなくなるという感じはする。張り合ったらダメだよなぁと思うのである。
2024年はもう少し頑張る
来年は少し新しいチャレンジもしなければならない時期なのが確定しているので、もう少しメリハリのある生活をしたいところです。
積んである本を読むなり捨てるなりしなければいけないだろうと思っています。
本を捨てるのは心が痛みますが、もう興味ないことに関してはバッサリと電子化するなりして、整理しないと新しいことが入らないなと思っています。
一方で、今だからこそ国語教育の古典のような本をしっかりと読みたいという気がしています。
もう少しだけ、頑張って生活をしてみたいですね。
過去のご挨拶