無理して日帰りで突撃した甲斐もあって、非常に充実した一日を過ごせたように思います。
やっぱり、こうして学会や研究会に顔を出して、その場の雰囲気を味わってくるって大切だって思う。
日常的な積み重ねを
参加した内容の感想はTwitterで適当に呟いたので、個人的にはお腹いっぱいである。
すごいな、全国大学国語教育学会、Twitterでのつぶやきを拾ってくれるって。オフィシャルな投稿フォームとインフォーマルでカジュアルなTwitterでのつぶやきの二刀流。双方向型のコミュニケーションの色々なかたち。国語の授業っぽい(笑)
— ロカルノ (@s_locarno) 2022年10月16日
学会の取り組み方もどんどん変わっていっているなぁ…。
議論されている内容については、どの内容も非常に心に刺さるものがある。
内容もさることながら、自分がどれだけ日常にぼんくらと問題意識無く現場で仕事をしているのだろうかという反省に立ち返ってくることになる。
高校の学習指導要領の改訂で散々揉めたのに、その後についてはすっかり授業をどうするかという議論やどういう授業がされているかという議論やどうしたらよりよいものができるかという議論も、なにもかもすっかり下火である。
高校の学習指導要領の改訂の際に、やたらと称賛をしてきたのは経済界や理系界隈で、厳しく批判を行って世論に影響を与えたのは文学界隈だった記憶がある。国語教育からの言葉はほとんど届かずという印象。そしていざ課程が変わった今となっては誰も高校でやっていることに興味を持って追いかけてない。
— ロカルノ (@s_locarno) 2022年10月16日
だからこそ、学会からのメッセージはめちゃくちゃ大切だと期待しているし、高校の当事者はテキトーにこれまでの焼き直しでやり過ごすような不誠実はダメだろと思っている。
— ロカルノ (@s_locarno) 2022年10月16日
授業がだんだんと「これまで通り」という圧力との妥協になっていないか、意図しない形で解体させられないか、そんな不安がぼんやりとよぎる。
学会の議論のレベルと現場の仕事のレベルは違うのもよく分かっている。
しかし、現場の色々な取り組みがなければ、議論が始まらない面もある。現場の危機意識と授業に対するこだわりはとても大切になるだろう。
一足飛びには進まない
日常の授業だって、緻密な論理構築と分析だって一足飛びには話は進まない。
各人の持ち場でコツコツと作り続けなければいけない。
また、明日から頑張ろう。日々、仕事だ。