ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

共有されない実践、どうやってつながればいい?

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昨日の続き。

www.s-locarno.com

なかなか素晴らしい実践が共有されて行かないことにやっぱり引っかかりを覚えるのです。

過去の実践に学ぶことの意味は大きい

自分は教員養成課程を卒業して、ストレートマスターで大学院で勉強してきたということもあって、基本的に過去の実践の、しかも名人芸的な実践の重さに対して、あまりに偉大過ぎて畏敬と畏怖を感じている部分があります。例えば

時代を拓いた教師たち―戦後教育実践からのメッセージ

時代を拓いた教師たち―戦後教育実践からのメッセージ

 
時代を拓いた教師たち〈2〉実践から教育を問い直す

時代を拓いた教師たち〈2〉実践から教育を問い直す

 

で紹介されているような実践家たちについては、知れば知るほど自分では手に負えない、自分では同じような実践ができないような絶望感を抱いています。もちろん、畏怖しているだけではどうしようもないので、何とか挑戦していこうと思う部分はあるのですが、それでもその壁の高さに絶望しそうになります。

しかし、こういう偉大な実践が自分の前にあることは、絶望感につながる一方でどうやれば授業として上手くやれるのかという道筋のヒントになっていますし、間違いなく過去の実践を紐解くことで自分だけではできないようなことを達成できていると感じます。

しかし……意外と学ぶことは難しい

自分としてはそうやって過去の実践を勉強しながら色々やれていることによさを感じているのですが、「過去の実践を勉強しよう」という提案は現場ではなかなか難しいと受け止められるのも、よく感じます。自分自身も院生時代よりも明らかに勉強時間は減ったと思うしね。

昨日の研究会を見ても、「何とか変えなければいけない」という強い思いを感じる一方で、比較的簡単にアクセスできるような情報についても掘り下げ方が甘いなぁ…と感じることは多かったのだけど、この「比較的簡単に」という感覚は時間がある院生時代の貯金で言っているだけであって、決して業務に追われている現場に出てから学んだことではないという感じはある。

今まで平穏無事にやってきた現場が、急に勉強しなければいけないとなったときに、ゼロから色々な情報を集めて、過去の実践を分析して……なんて言い出すのはかなり難しいんじゃないかと思う。

そもそも、どうすれば優れた実践を知ることができるのかも、誰かに教えてもらわなければ気づけるようなものではないし、優れた実践や研究がどこで行われているかも知ることは難しい。

日本国語教育学会にしても全国大学国語教育学会にしても別に勝手に参加できるものであるけど(笑)、知らない人には全然ハードルが高くて参加できないだろうし、地域の教育サークルだって伝手がなければ参加できないし、実際、何をやっているかなんて全然分からない。

商業誌として

教育科学 国語教育 2017年 12月号

教育科学 国語教育 2017年 12月号

 

のようなものはあるけど、高校に至ってはほぼ掲載されることがなく、アクセスが難しい。

SNSが何かを変えるか…?

最近はインターネットが当たり前になったこともあって、ネット上で色々な先生とつながることが簡単になった。例えば、自分も協力させていただいているフォレスタネットもそういう試みの一つだろうと思う。

https://foresta.education/

www.s-locarno.com

こういうブログでの発信もなかなかバカにならない。フォレスタネットさんにお声がけいただいたのもブログを書いていたからですし。

また、ブロガー教員の方々の情報は自分にとっても毎日とても刺激になっています。

本当は書籍でじっくりとやらなければいけないところにショートカットができるような感覚で、自分の目が広くなる気はします。

いずれにしても、「発信」するということに意味があるように感じますし、誰かが「発信」してくれることで、それに対して強く影響を受ける人は少なくないと感じます。

どれほど「よい」実践が行われていても、簡単にアクセスできないものはなかなか活かされていかないということは非常にもったないのです。

本日の結論

教員よ、ブログを書こう。まとめて当ブログで紹介しますから、どうぞ、情報発信してください。

本当、心が折れそうなことばかりなんです。一緒に勉強しましょう?

書くことで色々なことが見えてきますよ!

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