ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

謙虚というべきなのだろうか

自分の生徒たちは非常に手のかからない子が多い。何かあればだいたい素直に「すみません」と謝るような生徒たちである。

素直で謙虚なのはよいことだ。

ただ、色々なタイミングで「すみません」とすぐに言うものだから、ちょっと違和感がある時もある。

謝れる方がいいけれど

前提として、自分に負い目があるなと思ったときに、すぐに素直に謝罪できる方が当然によい。変に意地を張って、噛みついてしまうような姿勢がデフォルトになってしまうと、それはかなりその子にとっては損だろうと思う。

だから、何か自分に非があるときに「すみません」と一言添えることが出来るのは、非常によい姿勢だと思う。自分の生徒は自慢できるほどに偉いのだ。羨ましいと言ってください。

ただ、一方で、過剰なほどにすぐに謝罪の言葉が出てきているような印象もある。

そこまで大したことはしていないのに「すみません」とすぐに言ってくる場面に出くわす率が上がっている気がしている。

あ、自分が怖いのか?

もしかして、自分の普段の様子が怖いのか?生徒に要らぬプレッシャーを与えているのか…?

 

 

若い優しい先生ではもうないので、ダメなものはダメだというし、高校生のご機嫌を取るようなこともしない。

ただ、そんなにキレ散らかしているわけでもないので、そんなにビクビクと謝らなくてもいいじゃない!!なんて思ったらダメですね、はい。

冗談はともかくとして、自分に下手を打てば叱られるという怖れはもちろんあるとは思う。まあ、それはそれでいい。そういうことで覚えることもあるだろう。

ただ、それとは別の次元で、もっと違った感覚で、すぐに謝って「しまう」ような生徒が多い感じもする。

一種の合理的な…

もしかすると、すぐに謝罪の言葉を表現するということは、一種の自己防衛なのかもしれない。「私は謝ったのだからこれ以上追及してくれるな」という現れとして。

よく言えば不要な対立を回避する、余計な怒りを回避するための合理的な言語行為であるし、悪く言えば意見の食い違いをどうにかしようということにエネルギーを割く優先度が低い。

テキストコミュニケーションが増えているから、下手に炎上する前に謝罪してしまうのかもしれない。言葉で口にするよりテキストで謝罪するコストは非常に低い。

とても上手にコミュニケーションを調整しているとも言えるのだ。

ポライトネスの観点から考えると完全にネガティブ・ポライトネスによるコミュニケーション。そして、そのネガティブ・ポライトネスによる表現が「お互いにここまでで手打ちね」ということが約束された制度のように捉えられているから、それを破るようなことをして、これ以上の対立は避けようね……そんな感じ?

 

 

簡単に謝っている生徒の姿をみて、それだけでいいのかなぁと思うのは単なる偏屈なのかもしれないけど。

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