ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

【書評】「地動説は常識だ」と言い放つのは浅慮で無教養!? 「資質・能力」と学びとは何か?

「資質・能力」と学びのメカニズム

「資質・能力」と学びのメカニズム

 

この本は今年度発売された教育書で一番の良書かもしれない*1

新しい指導要領が告示され、散々に色々な人がキーワードだけを取り上げて好き勝手なことを言っている中で、これほど体系的に内容を整理しつつ、しかも平易な言葉で書いてある本は類を見ない。

ぜひ、「主体的・対話的で深い学び」や「カリキュラム・マネジメント」などに頭を抱えてしまっている現場の教員にこそ、いや、もしかするとこれから子どもを育てなければいけない保護者にこそ読んで欲しい一冊かもしれない。

原理・原則から語りなおされる学習指導要領

各所で言われているように今回の指導要領の改訂は今までのパラダイムから大きく変わっている。だからこそ筆者の奈須先生も執筆の動機として

今回の学習指導要領改訂の背景には、理論的にかなり新しい部分が数多くありす。そのあたりのわかりやすく体系的な解説があると現場は助かるのではないか。(P.3)

と述べています。

だからこそ、本書の第一章は「学習指導要領とは何か」ということの問い直しから始まります。

そのため、「じゃあ、明日から何を教えればいいんだよ?」という問いに対しては、ぜんぜん答えは出てきません。しかしながら、その回りくどさこそが、指導要領の原理・原則の問い直しそのものであり、本書が「知識の体系から資質・能力の体系へ」(P.26)と表現するパラダイムの進化なのです。

第一章でもっとも重要な指摘だと感じたのが、「アクティブ・ラーニング」や「カリキュラム・マネジメント」などばかりに注目がいき、あまり話題にされなかった「まずは学習する子供の視点に立ち」という「論点整理」の記述の意義を問い直した点です。

この学習指導要領の改訂に関して、教育産業が騒ぎ立てていることに冷ややかな感覚を持っていたことや教員研修でとってつけたようにアクティブ・ラーニングをやりましょうと言い出していることに違和感があったのは、すべてこの点なのかもしれない。つまり、大人の都合で教育の目先の方法だけを議論しているだけで、子どもにとっての教育という視点が抜け落ちていたかもしれない。

二項対立の思い込みに陥らない

アクティブ・ラーニングという言葉や学びの個別化や主体性という言葉をめぐって、各所で「基礎的なことができていないのに活動なんてありえない」という意見と「教え込み型の授業なんて時代遅れ」という過激な意見とが対立するのをうんざりするほど見ている。

どちらかと言えば学校の教員は(特に高校の抽象度の高い理系科目は)「基礎ができないのに主体性などない」と授業を見直すことを全く考えないほどに頑なな意見を押し通そうとする傾向を感じる。だからと言って後者のように内容軽視もなかなか折り合いがつかない。

本書でもその「あるある」な対立について言及し、以下のように述べている。

ここで気を付けるべきは、従来の学習指導要領において各教科等の主要な「内容」であった領域固有の知識や技能を、コンピテンシーと対立する位置に置き、あれかこれかの二者択一で思考する過ちを犯さないことです。それは、教育史上の典型的な対立図式である系統主義VS.経験主義が、「知識か思考力か」という不毛な論争に明け暮れたことの再来でしかありません(P.45)

このようにはっきりとこの二項対立の不毛さを批判している。

まさにこの「二項対立」を勝手に作り出してしまうことは、苫野一徳先生のいうところの「問い方のマジック」でしかない。 

教育の力 (講談社現代新書)

教育の力 (講談社現代新書)

 

「資質・能力」を伸ばすからこそ「内容」をより深く学ぶことができ、「内容」を学ぶことで「資質・能力」が伸びていく部分もあるということを、丁寧に様々な研究成果を紹介して論じています。

「基礎を覚えない、態度の悪い生徒にアクティブ・ラーニングなんてできない」と切り捨ててしまう前に、本書の意見を見る必要はあるのではないだろうかと感じます。

知識基盤社会の到来と「社会に開かれた教育課程」について

本書のもう一つの大きな山場が「社会に開かれた教育課程」というテーマであり、その内容を語るために語られる「社会の変化」の記述です。

近代以前から近代へ、そして近代を克服して迎えつつある知識基盤社会へという、社会の変遷を教育という視点から丁寧に描き出しつつ、現代の社会が近代にも、前近代にも戻れず、知識基盤社会に挑まなければいけないことをわかりやすく説いています。

白眉な説明が以下の点です。

あなたが幸せになれるかどうか、それ以前にあなたにとって幸せなのかは、あなた次第である。すべての人に妥当する唯一絶対の正解がある、逆に言えば正解にすべての人が縛られていた産業社会から、正解のない、あるいは何が自分にとっての正解かは自分で選ぶなり生み出すしかない知識基盤社会への移行は、個人の生き方にも、このような圧倒的な変化をもたらしたのです。(P.101)

このような社会へと変化しつつあるからこそ「自由を主体として適切に行使し、不安に負けることなく自らの手で納得のいく日々を着実に生み出しつづけること」(P.102)ができるような「資質・能力」をすべての子どもたちに不可欠なものとして教えることの重要性を説いているのです。

指導要領の改訂について「社会が変わったから」という説明は、もはや予備校や某教育B社も散々に言っています。しかし、ここまで踏み込んで、「社会が変わったからといって、なぜ教育が変わらなければならないのか」ということを説明はしていません。だからこそ、現場では「不易と流行だからアクティブ・ラーニングなんかに飛びついてはいけない」とこの大きな変化に対する不作為を正当化する向きもあるわけで……。

踏み込んで社会と教育の変化について説明しようとしている本で、ここまで平易なことばで分かりやすく書かれている本はほとんどありません。

「地動説は常識」か?

本記事のタイトルでかなりすごいことを言っているように見えますが、本書で実際に以下のように書いてあるのです。

本来バラ色の経験であるはずの教科学習を灰色の無味乾燥な暗記ものに貶めたのは、「地動説くらい常識だろう」といとも簡単に言い放つ、いかにも思慮の浅い無教養な大人たちなのです。(P.128)

この言葉は「教科」の「本質」や「見方・考え方」を考えていく文脈で出てくる言葉です。

親学問と教科の関係を踏まえ、そしてなぜ「教科」の知識を学ばなければならないのかということを一つ一つ考えていったときに、「なるほど、簡単に常識だと教えてしまってはダメなのだな」という納得とともに読まれる一文です。

上述の「基本的な知識かアクティブ・ラーニングか」みたいな二項対立が意味がないということを理解するためにも、格好の解説となっています。

ここでどういうことかを解説するつもりはありません(笑) 

ぜひ、良書なので何が大切なのかということを自分で読んで理解してください(笑)

一人一人が取り組むべき問題

この本を読むと、学習指導要領改訂が恐ろしいレベルで根本的に変化していることが分かる。そうなったときに、本当に現場の忙しい教員がきちんと趣旨をかみ砕いて理解できるのかというのを疑いたくなるレベルである。実際、アクティブ・ラーニングに対する過剰なアレルギー反応を見ているだけにね。

しかし、本書の冒頭、カリキュラム・マネジメントについて述べる部分に以下のような説明がある。

実は先生方自身が教育課程編成の主体なのです。いえいえ、それはあなたが校長や教頭、教務主任でなくてもですよ。(中略)カリキュラム・マネジメントが学級担任にとっても日常の営みであり、何より目の前の子供を丁寧に見つめ、その意味を自身の授業や学級経営の改善に返していくことだという、最も大切なことに気付かれるでしょう。(PP.16-17)

子どもを丁寧に育てていきたいと思った時に、今回の改訂の内容や意義を問い直すことは避けられない状況にあるのだ。

改訂が膨大だけに情報が錯綜し、百家争鳴としている。そんななかに、これほど明快な論旨で解説している本はない。ぜひ、多くの人に手に取ってもらいたい一冊だ。

*1:なお、本日は五月三十一日である。

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