重い話が続いたので、書く方も疲れたし、小ネタでも書いてみます。
先日、ネットサーフィンをしていると、以下のような記事を見つけました。
夏休みにあわてないための 自由研究徹底ガイド|スタディサプリ 保護者版
そういえば、夏休みももうすぐ終わりなんですね…。すっかり怠けているために、どうやって働けばいいのかがよく分からなくなっているところでありますが、世の中の小学生(中高も?)は、自由研究に悩まされている時期なのですね。
よく「生徒に丸投げとは無責任」と批判される自由研究と、その自由研究に対応する形で上述のようなサービスが出てくることについて思うことを書いておきます。
なぜ苦労する?夏休みの自由研究
上述のような「自由研究の方法」みたいなサイトがあると「子どもたちが自分で考えないから、宿題に出している意味がない」というような批判もよく聞く。
確かに、この「自由研究」の支援がサービスとして行き過ぎると、少し前に話題になった「宿題代行サービス」のような、もはや目的も理念もよくわからない本末転倒なことになるのだと思う。
しかし、どうしてネット上にこのような「自由研究の方法」が溢れかえるのかといえば、学校から宿題を出されたはいいが、「自由研究の方法」については、あまり詳しく教えられてきていないというのが大きいのでしょう。
自分の小学生時代を考えても、特段、研究の方法を教えられた記憶はなく、本屋で買ってきた自由研究のまとめかたの本を読んで、一生懸命ポスターをまとめたなぁという思い出しか出てこない。
自分の経験を一般化するのはよくないのだけれども、以下のようにたくさん自由研究の方法が紹介されているのを見ると、事情はそう大きく変わっていないんじゃないかと思う。
自由研究のテーマがもりだくさん!小学生・中学生をお持ちの保護者様向け
ベネッセがこれだけ大々的にやっているということは、相当の需要があるんだろうなぁ…(現場教員の感想)。
自由研究の方法をネットで書かれるのは迷惑?
学校が教えてくれていないのに「ネットにやり方が載っていて、子どもが楽して困る」というのは、どうも筋違いな感じはするけれども、せっかく好きなことをやっていいといっているのにパッケージで済ませてしまうというのはもったいない感じもする。
実際、学校からすれば「自由研究の方法」を教えているような時間的な余裕はないという声が聞こえてきそうだし、子どもや保護者からすれば「やりかたが分からないのにやれない」というのだろうし、サービスを提供している方からすれば「需要があるから供給している」という三者三様に言い訳がある。
個人的には、「探究的な学習」が学校でカリキュラムの中核として位置付けられていって欲しいなぁと思っているので、現状の夏休みの自由研究をめぐって毎年不毛な議論がやり取りされているのは残念に思う。
発想を変えて、インターネットにこれだけ多くの自由研究の方法が載っているのだから、学校が積極的にこういうサイトを紹介するのも手だよなぁと思う。
たとえば、この記事の内容などは、「研究の進め方」について、「テーマをどう選ぶといいか」だとか「調査や実験の際の注意点」だとかについての内容は、わかりやすいし、ちゃんとしている。
こういう手引きを先生方が自分の力でイチから作ろうとするとかなりの労力になることを考えれば、こういうサイトがあることを示してもいいんじゃないかと思う。
探究型の学習、自由な学びは難しい?
こういう「自由に好きなことをやっていい」という学び方は「日本人のメンタリティーにあっていない」というようなまことしやかな批判がされることもある。また、紋切り型の「探究よりも基礎基本」という批判も多く聞かれる。
このような批判がどこまで的を射ているのかはわからないけど、それらの理由が「探究すること」を学校が指導しなくてよいという理由にはならない。
探求型の学習の支援はやはり手間のかかることだということは、教員も世間も理解しておくことだとは思う。たとえば、ベネッセのサイトに「保護者の上手な自由研究サポート術5つのポイント」という記事があるけど、この記事を見ると、子どもの研究を支えていくためには、かなり細かいことを根気強く付き合わないといけないことが分かる。
昨日の記事で紹介した堀川高校も、探求的な学びを成立させるために、ほぼ延べ数で全教職員数に当たるくらいのリソースが注がれているという*1し、簡単にやれることではない。
ただ、少しでもこういう探究型の学習をよいものとして成立させようというのであれば、使えるものは使うという発想で、うまくこういう自由研究の方法について書いてあるサイトを活用できればいいなぁとは思う。
何にしても、十分な労力やリソースを投資しないで、目先の良さだけを押しつけるのはナンセンスというものだ。
そもそも「自由研究」の起源は?
前に「お前は何かを論じるときにそもそもからしか入れないのか」というツッコミを受けたことがありますが、「そもそも」を考えたくなるのは、生まれつきの性というか…。
今回は、書く方がつかれている気楽に書こうというというテーマでやっているので、自分では一切調べません(笑)
以前、この「自由研究」の始まりはどこから始まったのかということについては、あすこま先生が調べてくださっております。
一応、簡単にCiNiiなどは調べてみたものの、上の記事に出てきたこと以上の内容については、よくわかりませんでした。
よって、以上のあすこま先生の書かれた記事の内容を自分の知っている範囲のこととしてご紹介させていただきます。