ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

一切、擁護も反論もしないけど

ameblo.jp

 

何も考えなしに上意下達にやらされているかもしれない現場の先生方には同情をしますが、子どもに意味や必然性を子どもに伝えることをしないで形だけ整えるような指導を行うことの問題点については、一切、擁護も反論もしない。

送られる方としても迷惑千万なのもわかるし同情する。

一切、擁護も反論もない。

でも、それでも、こういう課題を本当に大切に考えて単元を作る先生がいるかもしれないことやこういう課題でファンレターという方法を知って、本気で取り組むような子どもがいることを想像すると、こうやって断罪されてしまうことはつらい。

いや、本当にひどい指導の話だと思うんだけど、本気で取り組んで、作家にどんな風に読まれたのかとドキドキしているような一部の子どもがこのブログの文章を読んだときに何を思うかとつらい。

何度も言うけど、言っていることは理にかなっているので反論の余地は一切ない。教育側が自重しなければいけない話ではある。

でも、それでも、自分には「本気で取り組んだ子ども」を想像してしまうのだ。だから…せめて、子どもが簡単にアクセスできないような、現場に対する苦情であるなら教育の専門誌でも、そうでなくてもせめて雑誌くらいで、こういう意見は言って欲しかった。どうせ、こういういい加減な指導をする人はこういう所で書かれている意見なんて一生見ないし、これを見てダメージを受けるのは本気で取り組んでいる人たちなんだよ…、本気で取り組んでいるから、本人のブログとか読むわけだから…。

いや、単純な押し付けがましい感想なんですが……教員側の。

論理的でも何でもない。

雑記

確かにその通りなんだけど……。

でも、そんなことを言ったら、「お話会をしよう」とか「本の感想を交流しよう」とかそんなことも何でも「ファーストキス」のたとえで置き換えられてしまうのだよ。

教育は何をどう切り取ったって強制という力は切り離せない。

だから、ファンレターだけをわざわざ強調して(いや、大量に送り付けられる迷惑には同情するけど)「子供さんから「初めてのファンレターの機会」を強制的に奪う教育に協力したくはありません」という言い方は、「教育的でない」という言葉を盾にして、教育とは関係ない「迷惑」に対しての苦情を言っているように受け取れてしまうことが苦しい。

教育の強制性について見ないフリする人や無自覚な人もいるけど、その強制性と子どもたちにとってよい学びとは何かを考えている人にとって、やっぱり「初めてを強制されたくない」という言い方は厳しいよ。

反論でも何でもなく、ただの感想です。この件について論じるほどに、自分は文学や芸術についての理解はない。

読書感想文廃止論、加えて|有川浩と覚しき人の『読書は未来だ!』

作家や作品を教材としか見ていない、国語教師の傲慢さが透けて見える。

2016/10/16 01:20

b.hatena.ne.jp

このコメントの通りである。

自分は作家や作品は教材としてしか見ていない。色々と理屈はこねることはできるけど、もう、感情論で言うけど、自分が文学に別に興味がないし、勉強もしてないからよく分からないから、子どもにとって必要なことをやれば十分だとしか思っていない。

ぶっちゃけ、結果的に大量のファンレターを送りつけるような真似を自分がするかもしれない。それが本当に必要ならね。

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