時間があるので読書をコツコツと今日は進めることができました。
たまには仕事と無関係な本を読まないと知識がだんだんとやせ細っていく感覚があります。
今日読んだ本はこれ。
英詩訳・百人一首香り立つやまとごころ (集英社新書 485F)
- 作者: マックミラン・ピーター,佐々田雅子
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2009/03/17
- メディア: 新書
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この本自体は、わりと淡々と百人一首の英詩訳を紹介していく本であるので、取り立てて何かを考えるというよりは(といっても、外人に向けた掛詞の解説や日本で古典が顧みられなくなっていることへの憂慮など、マックミランの日本古典についての考察は面白い)韻文の世界観や日米の文化の差を楽しむものだ。
でも、この本を読んだときに、以前、読んだ本のことを思い出しました。
翻訳という一つの作品
以前に翻訳について以下の本を読んだことがある。
この本は、「偏見と傲慢」などの英文学の名作をプロの翻訳家の 片岡義男さんと鴻巣友季子さんがお互いに新しく翻訳してみるという試みをまとめた本である。
先に紹介した『英詩訳・百人一首香り立つやまとごころ』の中でも、「百人一首」が様々な英訳をされてきたことを取り上げて、その違いについて少しだけ解説しているのだけれども、こちらの本は思い切って、翻訳が翻訳者によっていろいろな個性が出ることを実験するような本になっている。
作家でもある片岡さんの翻訳と翻訳に徹する翻訳家である鴻巣さんの翻訳の仕方は明らかに大きな違いがあって面白い。
たとえば、上に例に挙げた「偏見と傲慢」だけど、片岡さんは「思い上がって決めつけて」と訳し、鴻巣さんは「結婚狂想曲」と訳している。鴻巣さんは現代風な遊び心からの訳し方であるのに対して、片岡さんは英語が韻を踏んでいることを意識して訳でも韻を踏むことを実験している。
この本で取り上げられている作品はどれも有名作品だけに様々な既出の翻訳があるので、それと見比べてみても面白い。
恥ずかしながら、これらの作品の原文を読んだことはなかったので、英語の本文をあらためて目を通すのも面白かった。
ただし、二人の翻訳に関する「問答」の部分は素人の自分にはまったく理解できなかった(笑)
非常に知的でナイーブなこだわりを議論しているのだけど、その翻訳者だけが共有できるような感覚は、悔しくも深く理解できない。でも、こうやって翻訳を生み出す過程に翻訳を作品としてこだわる一面が見られることがとにかく素敵です。
なお、自分はまだ未読ですが、「日本語→英語」も入っている続巻が出たようですね。
そのうち買って読もうかな。
もう少し生徒向けならば
上の『翻訳問答』はとにかく難しい。
もう少し、翻訳を実際に子どもたちとどのようにめぐり合わせるのかということを考えるのであれば、以下の鴻巣さんの本が興味深い。
こちらは小学校で「絵本」の翻訳に挑戦するという試みが紹介されている。
こちらの本は英語について文法の説明をされたことのない普通の小学生が鴻巣さんの手ほどきを受けながら、自分たちで挿絵を参考にしたり相談したりして考えた翻訳が紹介されている。
子どもたちが自分たちの翻訳を自分たちの作品として大切にしていることが読んでいてわかることがとても微笑ましい。
絵本と言えば、高校生対象にこんなコンクールも毎年、行われている。
絵本翻訳コンクール(神戸女子学院大学)
課題の図書である絵本は一冊なのに、こういうコンクールが成り立つのは、翻訳という行為が正誤を競うようなものではなくて、作品として生み出すものなんだろうなぁという印象を受ける。
まぁ…例にもれず、こういうコンクールは得てしてろくに指導されずに、押しつけられることが多いので、生徒には不評なことは多いんだけど……でも、上記の本を読んでいると、翻訳をじっくりと考える指導はあってもいいんじゃないかなぁと思う。
古典についてどう思う?
上の絵本翻訳コンクールを見つけたので、「古典の翻訳コンクールとかないのかな」と思って調べたのですが、10分くらいネットサーフィンしただけでは見つかりませんでした。
うーん……ないのかな?あったとしたら結構面白いんじゃないかという気もしてきた。
外国語の翻訳と古典の口語訳については、もちろん違う面もあれば、同じような側面はあるんじゃないかと思うのです。
たとえば、原文を口語訳するときの訳し方というのは、外国語ほど離れこそしないけれども、細かいニュアンスを言い表すためには、現代語で言葉を尽くさなければいけないことはいくらでもある。
分かりやすいところだと、和歌の口語訳などは単純に逐語訳をすれば解釈できたことになるかと言われれば疑問は多い。
その意味だと、次の本で俵万智が「伊勢物語」の和歌をすべて「短歌」に現代語訳しているのは面白い試みだと思っている。
竹取物語・伊勢物語 (21世紀版・少年少女古典文学館 第2巻)
- 作者: 北杜夫,俵万智
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/11/18
- メディア: 単行本
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なんでこんなことが可能なのかと考えたら、やっぱり古典を現代に分かるように置き換えるという作業は「訳」であり「解釈」であり、ある部分では「創作」なんだろうなぁと思った。
最近ではしょっちゅう「訓詁注釈の授業はダメだ」と槍玉にあがる古典の授業ではありますが、こうやって「訳」という観点が「翻作」とでもいうべき行為であることを丁寧に考えて、授業のヒントを探れないかなぁと思います。
特に小中学校では思い切って原典を生徒に委ねる割合を多くしても、誤解を恐れずに言えば、ちゃんと補助したうえであるならば多少の曲解であっても生徒の創作を評価してあげてもいいんじゃないかなぁと思ったりする。
じゃあ、高校はどうするのかという話になるけど、それこそ、高校までくれば、原文と既出の訳を比べさせることで、そこにどんな訳者の解釈が入っているのかを考えさせたりとかできないかね。
まあ、思い付きなのですが……。
英語科が訳についてどのように考えているかは知りませんが、国語科と英語科の垣根を越えて、翻訳することや解釈して言葉を置き換えていくことということに注目して、面白いことできないかなぁと思っています。