落ち着いて久々に読書。とはいえ、疲れているせいか10分に一度、寝落ちしながらダラダラと……。本日読んだのがこの一冊。
ビジネス書だったので「Mac Fan」の「教育とApple」くらいのノリで読もうと思ったのですが、読んでみてびっくり。
デューイやヴィゴツキーやピアジェやパパートなどの名前が乱舞するくらいに、下手の明治図書の本よりもゴツイ教育の本でした。本気でテクノロジーを持っている人が教育の未来を描くとこういうことを考えるのだなという感動がある一冊でした。
教育とテクノロジーの関係
本書の中で自分に一番、ヒットしたのがオーストラリアの教育とテクノロジーの関係についてのたとえ話だ。
数年前、私はオーストラリアに住む学生に、オーストラリアの教育環境について教えてほしいと頼んだ。すると彼は、カンタス理論の教育だと言った。
私は「クオンタム(量子)論」を聞き間違ったのかと思って尋ねると、彼は「いいえ」と言ってこう続けた。
「航空会社のカンタスですよ。なにしろ、学生にデジタル機器の電源を切らせ、旅のあいだじゅう席に縛りつけるんですから。僕はただ、パイロットが僕の望む目的地に連れていってくれますようにと祈ることしかできない。着陸してようやく、デジタル機器の電源を入れられます」
(位置: 3,487 下線強調は引用者)
このたとえ話は今の学校教育の在りようを的確に説明しているし、何が問題なのかもわかりやすく説明しているように感じる。
本来、自由で無数の利用の可能性を持つデジタル機器であるのに、学校という箱の中にいる限り、教員に厳格に管理されてしまう。首尾よく、その方法で成長できる生徒であればよいが、その方法の合わない生徒は……?
本書の著者たちは、繰り返し「標準的な生徒」が存在し、「標準的な教育」が成立するということに対して批判を述べている。
これまで話してきたように、標準的な生徒というものは存在しない。だから、標準的な教室で学習させ、標準的な教科書を読ませ、標準テストを受ける、といったことを生徒に強要すべきではない。デジタルネイティブは、自分の人生にかかわることに取り組んで交流を広げ、何かを生みだして他人と共有したいと思っている。
(位置: 1,316)
だからこそ、テクノロジーが生徒の意欲を喚起し、それぞれの生徒にとって関連性の強い、本当に問いたい「本質的な問い」となるように、テクノロジーを活用することを強く主張するのである。
技術から教育を考えない
本書の特筆すべき点は、テクノロジーの恩恵を重視しながらも、教育のデザインをテクノロジーから考えないことである。
テクノロジーを木に竹を接ぐように教育に入れるのではなく、教育の本質から、現在求められる教育とは何かということから、テクノロジーの必要性を描き出しているのである。
だから、本書の序盤は、「リワイヤリング」という教育の構造転換の必要性の説明と「教育の目的」「人間の可能性」「モチベーション」「学習の定義」「学習空間」と教育のデザインに関わることを丁寧に説明している。
教育のリワイヤリングは、テクノロジーから始めてもうまくいかない。最初に着手すべきは心理学だ。
(位置: 565)
だからこそ、冒頭に説明した通り、デューイやヴィゴツキーやピアジェやパパートの話が出てくるのである。
教育の形を描き出す
勘のいい人は、この名前の並びでどういう教育を本書が志向しているよく分かるだろう。本書が重視しているものは、生徒のモチベーションと結果を得るためのプロセスの経験である。
子供の教育は、子供が生まれつき得意なこと、興味があること、好きなことを子供自身に発見させることを第一にすべきだ。
(位置: 797)
そのための手法として「CBL」(Challenge Based Learning)というPBLの一種を提案している。これはPBLにテクノロジーを組み込み、生徒の裁量を一層に推し進めたものだと思っていいだろう。
CBLとは「感じて想像し、行動を起こして共有する」ことだという。
つまり、(何かに対して)自分はどう感じているのかを理解し、それを解決する術を想像する。想像できたら、解決に向けて行動を起こし、見つけた解決策を世界と共有するということだ。
(位置: 1,826)
この辺りの発想は、以下の本と非常に近い問題意識と強いビジョンを感じ取ることができる。
ブレンディッド・ラーニングの衝撃 「個別カリキュラム×生徒主導×達成度基準」を実現したアメリカの教育革命
- 作者: マイケル・B・ホーン,ヘザー・ステイカー,小松健司
- 出版社/メーカー: 教育開発研究所
- 発売日: 2017/04/06
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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情報時代の学校をデザインする: 学習者中心の教育に変える6つのアイデア
- 作者: C.M.ライゲルース,J.R.カノップ,Charles M. Reigeluth,Jennifer R. Karnopp,稲垣忠,中嶌康二,野田啓子,細井洋実,林向達
- 出版社/メーカー: 北大路書房
- 発売日: 2018/02/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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これら二冊が本気の教育書の出版社から出ているのに対して、こちらはビジネス書の出版社である。盲点だったが、ここまでしっかりと解説しているとは思わなかった。
本質から戻って、どうしたらよい教育になるのかという発想を見ると、これは苫野先生の教育論とも類似してくる。
全く異なるタイミングで、異なる国で、同じような考え方、手法が提唱され、実現されていくということに、向かうべき教育の方向が示されているように感じるのです。
実践者としての強い想い
本書の著者は、Appleの人間でありながら、一方で教育の実践者である。だからこそ、本書の随所に、教育現場の牛歩さに対するいら立ちは見えるし、教員の苦しみへの同情的な配慮の両方が見て取れる。
本書の最後を締める最後の一文が、実践者としての強い想いを感じるのである。
覚えておいてほしい。いまどんな教室をつくるかで、明日の社会が決まる。
(位置: 3,533)
こういう矜持で仕事を出来ているだろうか。
本書は、決してテクノロジー賛美でも現場批判でもない。子どもの可能性と未来の可能性を信じて、教育を考えることを主張する一冊なのである。