本日からやっと授業開きです。
去年の11月末日で授業がなくなっていたので、約5か月ぶりの授業です。ゼロから始めるという緊張感があるのです。
国語が苦手な生徒たち
残念ながら、今年度の生徒たちにアンケートを取ったところ、国語が苦手だという生徒が学年の約六割を超える。
そんな情報知りたくなかったけど(笑)、知ってしまったからには向き合ってやっていくのです。最初の授業は授業のルール説明である。堅苦しい開始であるけど、全く普通の「国語」のイメージとは違うことをやろうとするのだから、その意義を説明し、どこまでたどり着くのか、どうなってほしいかということを伝える。
出口が見えないまま、闇雲につまらない話を聞かされてもつまらないものね。
国語が苦手だという生徒の記述をよくよく読んでいくと、一番の原因は「国語の勉強の仕方が分からない」ということが大きいようだ。勉強の仕方が分からないでいるのに、模擬試験を受けたら成績は悪いし、良いところがない。他の科目がちゃんと努力の成果が出るのに、国語はよく分からずに足を引っ張るという最悪な科目だという。
まあ……そうなるのも仕方ないか。
国語のイメージが生徒の90%以上が「先生の話を聞いて板書を写す」ものになっている。学年で一人、二人、そうではない国語を経験して高校にやってきたというが……絶滅危惧種である。
板書を写すことを国語だと思って勉強してきたら、そりゃあ嫌になるよね。
自分で自分の責任を持つ
国語の授業でやってほしいことは、自分でちゃんと色々な問題について言葉で向き合うということである。
面倒がって誰かに答えをもらうことに慣れてると、考えること自体が億劫になってしまうのである。言葉で考えられないことは、自分で引き受けていくことは出来ない。問題を問題として向き合い、自分事にして考えていくには、どうしたって言葉が必要なのである。
その意味では、授業で何か問題について意見を述べてもらうということは、決して添削するためのものではない。あくまで教室の空間においては、自分も生徒も対等に意見を交わしたいのである。意見しあう時にゼロのままの生徒では自分が面白くない(笑)。
だから、ちゃんと少しずつ、何が必要なのか、どう考えれば見えてくるのかということを、考え方の手本として一緒にやっていくだけである。
まぁ……なかなか授業時間が短くて、学びの技法について話していたら、危ないんじゃないかという気持ちもあるのだが……。でも、ここできちんと考えるための根幹の発想を教えないと、結局、遠回りになるだろうから。
とりあえず、一番、継続してやってほしいQFTから始めようと思います。
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教科書の本文をどこまで割り切ってやれるだろう。