ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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授業で新しく始めたいこと

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いよいよ入学式。そして一週間の間を置いて授業が始まる。

無事に新入生を迎えることができることを嬉しく思いつつ、自分が新しく授業できるのか心配もしている。

いつもゼロから授業やるのは不安で仕方ないのである。

生徒の姿をじっと見つめて…

必ず、新しく授業を始める時には、大村はまの『教えるということ』を読み直す。その中でも特に「仏様の指」の話を読んで初心を思い出すのです。

新編 教えるということ (ちくま学芸文庫)

新編 教えるということ (ちくま学芸文庫)

 

奥田正造の勉強会に参加していた大村はまは、奥田正造から好かれる教師、慕われる教師という話題について、ぬかるみにはまった男のたとえ話によってこんな風に言われたそうだ。

「その男が、もし、仏様のお蔭と知ったとしたらどうだろう。もちろんのこと、大喜びでお礼を申しあげるに違いない。そして、永遠に感謝の気持ちをもって、暖かな気持ちをそのたびに思い出す。これも美しいことには違いない。けれども、本人がこの世の中を生き抜くということを考えてみると、自分の力で引けたと思っていたはうが、どんなに元気よく生きていくかわからない。その人の生活ということを考えると、仏様のお蔭というよりは、自分だけで引いたと思ってどんどん行く、その方が強く生きていけるのではないか。その方が生きていく人間として幸せではないか」とおっしゃったのです。先生は、その後で、「だからいい先生だなあと思われ、先生のおかげと思われ、好かれているのは、そうだな、まあいいとこ、二流か三流だな」と私におっしゃいました。そして、まもなく入っていらしたかたに、今、こういう話をして、このみんなに慕われる先生をけなしてやったと先生はお笑いになりました。(『大村はま国語教室 第1巻』P.334より)

この話は、いつだって自分を自戒させるために必要なものだと思っている。自分が教師ではなく、ただの教員として、生徒の上に立つのでもなく、偉ぶるのでもなく、何か力添えしていこうという気持ちに戻るための教訓である。

生徒に対して卑屈になることもなく、媚を売ることもなく、だからと言って高圧的に出るのでもなく、ちゃんと生徒を育てられるだけの技量を持った教員でありたい。

そのためにはやはり徹底的に生徒を見る・観る・診る力を持たなければならないし、生徒との一つ一つの向き合い方を考えなければいけないと思う。

西尾実先生が「つまらないことを聞くと、真実のことばが言えなくなる。それからあんまりむずかしいことや、あんまり考えれないようなことを聞くと、何か言わなければ悪いという子どもが優等生のなかにいて、そのとき、ほんとうの心を、心から伝えるという態度ではなくなってしまう。何か言わなければ悪いと思って言っているのであって、そういうのは真実のことばではない、そういうことばを平気で使うような教室にしてしまうと、もう教室は死んでしまう」と、おっしゃったことがありました。(中略)私は、そういう「対話」のある授業がなかなかできなくて、ほんとうに苦しみました。西尾先生にお教えいただいたことの中で、いちばんむずかしかったのはそれでした。(『日本の教師に伝えたいこと』PP.62-63)

日本の教師に伝えたいこと (ちくま学芸文庫)

日本の教師に伝えたいこと (ちくま学芸文庫)

 

やはりこの言葉も非常に重いのです。

自分がどうやって生徒に接しているのかということを常に立ち返らなければならない。

油断すると自分は安全な場所にいながら、生徒のことを一方的に品定めしたり、貶めたり、限界を押しつけたりするような真似はしたくない。

受け入れた生徒を揶揄するような言葉や自分の好みだけで授業するようなことはしたくない。

勤務校はどこまでいっても受験のことが保護者からも生徒からも期待され、職場としてもそれが期待されている面がある。でも、それを理由に「国語」としての力を、ことばの力をつけるとはどういうことかということを棚上げにするような真似はしたくない。

ただ、一つ一つの授業を、「対話」を、ことばを、大切にしていきたいのである。

答えを持つのは教員ではない。頼らせない、依存させない。

力強く、自分で表現できる力を持ってほしいのである。

語るために問う・聞く

そのための一歩として、今回はやはり聞くことから丁寧に始めたい。

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自分の言葉を持つことも大切だが、自分の足りないものを見出すためには聞くことも必要である。一つ一つの言葉が空疎に放り出されるだけの教室になってしまってはいけないだろうと思っている。

また、やはり一番、深いところには「問うこと」ができる力を育てたいという思いがある。だから、今回は早いうちから「質問づくり」、QFTを続けていこうと思う。

たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」

たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」

 

自分の問いを持てるようになれば、その問いを探究するために、いくらでも学ぼうとすることができるはずだから。

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