本日、無事、高校一年生を担任として迎え入れました。この日を迎えるために今週はずっと細々と準備をしてきました。
初対面でいきなり不安を与えるような態度にならないように、とても緊張するのです。
基本的に変化はしんどい
安定的に何も不安なく過ごすことは気分としては楽であるけど、その代わりあまり成長もない。そもそも学校なんて場所で生活していると、それは毎日が変化の連続である。だから、基本的には変化を恐れている場合ではない。
しかし、それでも、変化はしんどい。
憂鬱である。春は人が増えて憂鬱である。減っても憂鬱である。変化とは憂鬱の二つ名である。
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年4月6日
自分は決して性格として前向きではないので、変化して新しく何かを始めようとするのはしんどいのである。気が重いというのが正直なところである。
決して、生徒が嫌な訳でも、これまでの生活を引きずっている訳でもない。
ただ、単純に変化そのものにしんどさを感じるのである。上手くやれればいいけど、上手くやれないかもしれないという思いを抱えながら、少しずつ自分のできることを進めていくしかないかなぁという気持ちである。
繰り返しながらも進んでいく
待ち受けるということが不安を駆り立てる。
こういう不安はもう何度目だろう。あまり自分自身に成長がない。生徒の人生を引き受けるということの責任の重さを思うからしんどいのである。シンプルに授業だけを考えるなら、ある意味で一年でリセットも効く部分もあるのだけど、担任として学年として生徒を迎えるということは、途中下車のできない旅に出るようで、不安なのである。
気分としてはスピッツの「みなと」の歌詞みたいな感じである。
まあ、立ち止まってばかりもいられないので、仕事に追われて緊張しているうちに慣れていくんだろうなぁと思う。
何度やっても慣れないし、逃げ場がないような気の重さを毎回感じる。
まだ、授業のイメージもついてない。それは生徒を見て何をやろうか考えたい人だからなおさらなのだけど、授業準備が間に合うかも心配になってくるし、自分のやりたいことは生徒と自分の間の信頼関係がなければなりたたないけど、そういう信頼関係が今度はできるか不安で仕方ない。
いくらでもテクニックも小ネタもあるけど、本質的なところで踏み込めるかなんてやってみるまで分からない。
本当に、戦々恐々といながら、新しく始まることに備えているのです。