この導入期の七転八倒の時期に授業を見ていただく。
なかなか他人にお見せできるような状態ではないのですが、客観的に見ていただくと色々と面白い意見をいただけるものです。
異なる立場から
自分は授業としては国語科としては王道的なことをやっているつもり。
いわゆる単元学習という方法しか分からないというのが、本音である。もう少しバリエーションを持てないといけないなぁと思うものの、自分の根幹ではあるので大切にはしたい。
子ども達の姿を丁寧に見取り、必要な素材を選び、きちんと必然性のある活動を組織していくというシンプルな話。
手引きを作ったら生徒に委ねるし、やらせたいことがあるときに、「〇〇しなさい」とは言わなくても、自然とそういう活動が引き出されるような仕掛けを考えて重ねていく。
だから、とても王道的で普通の国語の授業をやっています。別に面白みはない。
しかしながら、普通の授業をやっているつもりでも、なかなか普通に見えないで、こんなことは初めて見たと言われることが多い。
それも残念だなあ……とは思うものの、面白がっていてくれるならそれはそれでいいかな。
自分の授業の見られ方
自分の授業を客観的に見てもらった時に言われるのは、「やることが明確に伝わる」ということである。
性格がしつこいので、あれもこれも指示を手引きに書いているのですが、自分としては細かすぎて生徒があっぷあっぷになっている気がするのであまりよくもないかなぁと思ったりもしている。
そういう手引きでプリントを作るのがあまり見られないらしい。
あと、割と「台本」は好きです(笑)。あれをやれこれをやれと書くよりも、一度ロールプレイさせたほうが生徒も暖機運転されるし、やらなければいけないことがはっきりと伝わる。これも大村はまの方法だけどやっぱり効果的。はまは中学生だけど、高校生でやっても抜群に効果がある。
面白がってみていただけましたが、自分のオリジナルではないのですよと伝える。
あと今年から「国語教室通信」も始めましたが、こちらも他所から見ると面白いらしい。特に今年は授業のポイントや生徒の声を拾ってフィードバックするなど、まめに情報量を盛り込んでいるので、「これは財産になるよ」と言われる。
ぜひ、周りにも共有してほしいと言われるが……まあ、文脈ないものは理解できないので、そんなに役立つかなぁという印象である。
自分の授業で面白いと言われるのは自分の工夫ではない。結局、誰かのやったことのパクリである。
国語科教育は薄くないですよ
自分がいうまでもないけど、国語科教育がちゃんと地道に積み重ねてきた地層は薄くないのです。
全体を見渡すことは難しいのですが、それでも自分の近いところを丁寧に掘り下げていけばいくらでも今の自分を助けてくれるのである。