今週はとにかく分掌などの仕事のおかげでだいぶ忙しかった…。
いろいろと仕事を後ろ倒しにしてはいけないねという毎度の教訓を懲りずに復唱する結果となっているのです。
時期としても色々な学校で定期考査の時期になりましたので、一教員として考査に関するあれこれと考えていることを書いてみようかと思います。
考査問題いつ作る?
考え方や置かれている文化も違うので一概にはいえないのでしょうけど……。考査の問題っていつ作るのが普通なんでしょうかね。
一般的には単元の終わりの頃に、考査前になって慌てて作り出すというパターンが多いように思うのですが、本当にそれでいいのかねという気持ちもするのです。
たとえば、西川純先生の次の本では、「授業前に考査問題を作ること」を述べています(PP.36-39)。
簡単で確実に伸びる学力向上テクニック入門<会話形式でわかる『学び合い』テクニック> (THE教師力ハンドブック)
- 作者: 西川純
- 出版社/メーカー: 明治図書出版
- 発売日: 2015/02/20
- メディア: 単行本
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この本における「授業前に考査問題を作ること」の主張の根拠は単純で、「指導したことと考査が対応しなければならない」という前提を徹底するということであって、それ自体は的を射ているように思う。
考査に出す問題を決めて、それが答えられるようになるような授業を作るという発想は、指導したことをちゃんと評価して、さらにできなかったところを手当てして…というサイクルを回そうとするのであれば、理には適っている。
教科書の例題が解けたとしても、角度を変えられると太刀打ちできなくなる子どもが少なからずいることを踏まえて、考査をゴールにして、授業では様々な問い方や考え方に慣れるように指導することを決めておくというのは、指導したこと以外の原因によってつまづいてしまう生徒を減らすためにも意味はあるだろう。
物語で心情を説明させる問題を考査に出したいと思ったら、「心情の原因(ので)心情の言葉」のような形で解答の形を教えたり、実際にその形を使って本文の心情を説明させてみたり、複数の要素を組み合わせなければいけないものを練習させてみたりなど、一つの単純に見える問いでも、つまづかないで生徒が考査で解答できるようになるためには、狙っている事柄に加えてつまづかないための練習もやっぱり必要だ。
そんなことを考えると、先に考査の問題を作ってしまって、そこから逆算して授業の課題は決めていいのかなぁと思う。
勘違いしてほしくないのが「これをやれば点数が取れるぞ」といって生徒を釣るという、まあまあ下品なレベルでの話ではなくて、狙っていることをちゃんとテストするためには、狙っているところ以外のことでつまづかせないことが必要であって、そのためには、考査で何を問うのかのイメージがないのに走り出すのはダメだよなぁという話である。
でも、あれだね、全国学力調査の過去問をやらせるのはバッシングされるけど、全国学力調査の問題を参考に授業したりテストを作ってやらせてみたりするのは、調査の意義を理解してやっているといわれるのも面白いものだね。
後者の方が長期的なスパンで計画を考えないとできない分、日々の取り組みであって付け焼刃ではないところに意味があるのだろうけど、ゴールをイメージして練習をこなすという発想は割と同じだよね。
もちろん、自分も過去問やらせるのは下品だと思っていますし、調査を授業改善の手本にする意味が大きいと思っていますよ。念のため。
考査問題で何を試す?
これも横の担当と連携しなければいけない場合は、自分の一存で決められるわけでないので頭が痛いものなんだけど……。
考査で試したい力って何なんだろうねという話も結構根深い問題があるように思う。
先の項目とも関連することかもしれないけど、試したい力が揺れている状態で授業ってできるんだろうかねという感じもある。最終的に試したい力が揺れているってことは、指導しているときに最後にどうなるかってイメージがないってことが多いでしょうから、なかなか恐ろしいものがある。
目隠しで昼間の首都高を走っているようなものですね。
でも、一方で、授業が思い通りにいかないこともままある。それは、単元の見通しの甘さということもあるんだろうけど単元を動かし始めたら、子どもが別の方向へ興味関心を持って動いていった場合や実際の子どもの成長率などを見て、考査の問題ではこんなことを聞いた方がいいかなぁと思ったりすることはあり得る話だろう。
ちなみに国語の鬼、大村はまは、考査についても徹底して生徒を伸ばすために問題ごとに何の能力なのかを明確にすることや誤答の選択肢にも「この選択肢を選ぶ生徒はこんなことをミスする傾向にあるよ」という意図が生徒にわかるようにするなどの工夫をすることが必要だという旨のことを言っている。
うーん……恐ろしく冷や汗が出る。
いや、もちろん、でたらめで意味のない問題は作らないし、説明責任を果たせないような問題は作らないんだけど、大村はまがこういう発言をする背景には、考査で優劣をつけさせたいのではなく、考査で子どもたちに自分の足りないところと向かい合わせて、優劣以上に大切なものを追究させたいという意志からの発言であるので、そこまでの強い意志をもって考査を作っているかといわれると辛いのです。
どんな形式で出しています?
国語のテストだと顕著だと思いますが、どんな形式で出すかって困りませんか?
自分は本当に生徒の学びを評価するのであれば、小論文を課すしかないんだろうと思っているのですが、それだとやっぱり上下左右の関係で問題があるのでテストとして出せないので、仕方なく記述問題をどっさりと課すことで代替えしている部分はあります。
ただ、250人くらいを今は教えているので、250人分の記述問題を考査ごとに採点するのは、掛け値なしに地獄です。記述問題数千枚を二週間で採点させようなんて言っている人は正気の沙汰とは思えないっすね、ほんと。
そうなってくると、横で担当する人によっては「記述なんて採点が面倒なものを出すな」という人もいるわけで、記述問題の割合がどんどん減ってくることもある。
というか、もう、物理的に「いや、マークシートなんで、うちの考査は」みたいな学校もあるかもしれない。
うーん……マークシートで指導したことをちゃんとくみ取って評価してあげられるのだろうか。
あと迷うのが、「初見の文章」を出すかどうかという点である。自分は授業で教科書はアリバイ作り上使うんだけど、そこから結構な量の文章を書籍、雑誌、新聞問わずに授業の一環として読ませ、まとめさせるなどしているので、それほど教科書の文章そのものの意味だとか解答を作らせることに執着はない。というか、そんな池波正太郎よろしくの幇間稽古していても……という思いがある。
でも、これも、高校となると内申点がゆくゆく指定校推薦という自主規制な制度の公平性を保つために教科書を頑張った生徒をうんぬんと言われてしまうと、結構、自由にやれないことはある。
うーん…悩ましい。
実は「評価」の話はあっても「考査」の話は少ない?
最近はアクティブラーニングの流れもあって、評価をどうするかという話は結構話題になっている。
アクティブラーニングの評価 (アクティブラーニング・シリーズ)
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「資質・能力」を育てるパフォーマンス評価 アクティブ・ラーニングをどう充実させるか
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でも、こういうところで話題になる評価は、別に考査の作り方だとかを説明しているものではない(というか当たり前である)。
案外、考査についてどんなことを考えるのかという話題や実際にこんな作り方をしているという話は少ないんじゃないかと思う。
もし、このブログをご覧の方で思うことがある方は、ぜひ、差し支えない範囲でブログ記事に考査について思うところを書いてもらうと今後の参考になります。
ぜひ、考査問題の作成について、思っていることや体験談を教えてください。