ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

効果をちゃんと評価しないと…

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学校の仕事は「やったほうが良いよね」の集積で、大変なことになっているということを本気で考えなければいけないなと思うこのごろ。

効果を評価しているのか…?

学校のあれこれで、一番、よくないと思っているのが、何かをやったときにそのことの教育的な評価をちゃんとしないことである。

こういうと「ちゃんとアンケートを取っているし、アンケートの結果は良好なんだ!」と反論を受けるのだが、素朴に「よかった」「悪かった」とアンケートを取って、平均値を出すことで、どれだけのことが評価できているのかという話である。

卒業論文の時期に、安易にアンケートを取って世の中の良心のある人たちがお怒りになる……というのは、この時期の風物詩と化している印象であるが、学校のアンケートの取り方はそれ以上に雑に思うことが……。

きっと、上から次々と効果不明のアンケートを自分たちが押付けられているから、それを同じように生徒にも以下略。

そもそも、行事や授業についてのアンケートを生徒にとれば、自分たちが時間をかけて取り組んだことを、ネガティブに評価することは少ないのである。「よかったと生徒が言っているからやりつづける」という判断は下策だろうなと思うのである。

手放すことを上手に…

百歩譲って、一つ一つのイベントに対する生徒の満足度が高いとしても、色々なものがてんこ盛りになっているから、全体としては結局、頑張った割には徒労感が酷いということが起こっているように感じる。

そして、それぞれのイベントで生徒の満足度を上げようとするから、教員は毎回、毎回、生徒をがんじがらめにしてやらせようとしてしまうので、結局、生徒の立場からすれば、息つく暇が無いのである。

そうして、毎回、毎回、追い込まれると、一つ一つはよい企画であるのに疲弊してしまって煮え切らないような取り組み方になってしまう。そこに生徒は部活動に考査に様々な別のことが積み重なるのだから、疲弊してしまうのだ。疲弊した状態で、何かを積み重ねるのは大人だって厳しい。

生徒の様子を見ていると、はじめから課題に対していい加減にやりたいという生徒はいない。やっているうちに色々なものが積み重なってしまい、にっちもさっちもいかなくなっていってしまい、自分にとっての関連性が低いものから諦めていくのである。

今、考えるべきことは、できるだけ諦められることを手放すことではないのか。

教科の言い分や、自分の過去の経験を根拠に、手放すことをはじめから選択肢として持たないことを正当化していないだろうか…?

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