やっぱりひっかかっている昨日の話。
すぐ実践できる! アクティブ・ラーニング 高校国語 (アクティブ・ラーニング教科別実践法シリーズ)
- 作者: 西川純,今井清光,沖奈保子
- 出版社/メーカー: 学陽書房
- 発売日: 2017/05/16
- メディア: 単行本
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自分の中で時間をとって考えていないから消化できていないのは間違いない。結局、昨日も書評を途中で投げた形で終了させたしね。
もう少しだけ、追記のつもりで思いつくことをつらつらと書き出してみる。
アクティブ・ラーニングで教科はどうなる?
教科の中の科目の編成が変わるということは伝わってきているけど、高校の国語科は結構大きく変わる。
その意味だと「国語総合」だったものが「現代の国語」のように「国語表現」の内容の色合いが少し強まったような感じだが、今まで「国語」だと思っていたような内容だけでは不十分になる。
ちょうど、センター試験の後継試験案が出ていたけど、そこではいくつもの資料を比べ読みして意見を書くことや契約書などを読みとることなどが出ていた。
こうなってくると、従来の「国語」という枠組みのイメージからは段々離れたところに向かっているのは感じられるだろう。まあ、こんな話をTwitterに書いた。
色々と問題のあるセンター後継テストですが、職員室で「こんなのはこくごではない!ちせいをかんじない!」とか「こくごはぶんがくやかんせいのよさをおしえるんだ!」なんて高校の教員が話しているのを聞くと、今年からでも良いから早く国語は変えてもらった方が世の中のためになる気がします
— ロカルノ (@s_locarno) 2017年5月17日
「文学的な感性」とかを国語の目的だと言われても、一部にはそういうこともないとはいわないけど、あまり定義もできないで人によってイメージがズレるようなことを「国語の本質だ」と言われてもどうかなぁと思う。
とはいってもスキルには割り切れない
あんまり単元の目標論とか言い出すと信念の対立になりそうなので、深入りは避けたいところだけど、昨日の本で一番引っかかったのは以下の記述。定番教材の「水の東西」について
「この単元の目標は『全員が対比のペアを揃えることができる』です(単元目標)。どの言葉とどの言葉が対比になっているか、見つけてください。教材文をよく読んで、ワークシートの問題に答えてください(課題)。最後の5分で〇✖形式の確認テストをします(評価時期と評価方法)。全員が合格できるように頑張ってください」
目標と課題と評価が一貫しているように見えるでしょう?
スキルに割り切って指導するならこのくらいの内容が妥当なのだということもわかる。
よくコンテンツベースとコンピテンシーベースという話が話題になり、「水の東西」というコンテンツを教えること自体に満足していてはだめなのだという議論は出てくるし、スキルを意識させて明確に評価して定着させようという話も分かる。
しかし、ここまで単純に割り切ってコンテンツの内容を目標に考えないのもなかなか勇気がいるものだ。結果的に内容を理解しないと対比は分からないから、内容をきちんと読んでいるという理屈は通るかもしれないけど……。
でも、資質・能力を持ち出してもここまで単純に題材を割り切っていいのかはわからん。