今日が終業式で明日から夏休みの学校は多いのではないでしょうか。自分の勤務校も例に漏れず、明日から夏休みに入ります*1。
毎年、夏休みの時期になるとネット上を賑わせるのが読書感想文だ。
さすがに国語の教員の自分がいくら読書感想文を生徒にやらせることを面白く思っていなくてもコピペでよいとは言えない。だから、もう少し建設的に「文章の書き方」の簡単なマニュアルを学んで読書感想文に生かしてみてはどうだろうか。
国語の授業で自分は使わないだろうけど、夏休みの読書感想文をやっつけるには便利なアドバイスの本なのではないだろうかと思う。
常に読み手を意識して書くということ
この本のコンセプトは「三行しか書けない」という人がきちんとまとまった文章を書けるようになるために必要なことはなにかということだ。
裏を返せば、三行だけでも書くことができるのであれば、きちんとしたまとまった文章を書けるようになるはずだというのが本書の主張である。
例えば、以下のような文章を書いてそれっきりペンが止まってしまうような人にとって救いになる。
私は、夏目漱石の「こころ」を読んで、作者の考えに共感した。
まあ…ここまで極端な人はいないだろうけど、この手の「私は……して……だと思った」で手が止まってしまう人は少なくない。
ここから本書の方法論を真似て書いていくと、最終的には原稿用紙2~3枚はきちんとまとまりがあって筋の通った文章が書けるようになる。
さすがに本の内容をここで解説してしまうと営業妨害なので詳細は書かない。しかし、本書の「ねらい」を一言でいうのであれば、「読み手を意識して書く」ということだ。
例えば、上のような文章は読みとにとっては優しくない。「なぜ『こころ』を読んだの?」とか「作者の考えって何?」とか「どんなところに共感したの?」とか、上の文章を読んだだけでは読者に色々な疑問を持たせてもらって、モヤモヤとした印象ばかり与えてしまう。
だからこそ、読者にストレスをかけてしまうような情報不足の文章にしないように「読者がどんなことを知りたがっているのか」ということをきちんと文章に書くことで、読みやすく内容の深い文章になるというのだ。本書の言い方を借りるのであれば「読者の疑問に答える」ことができているかどうかを考えてみるとよいという。「読者の疑問」になりそうな点を例を挙げて説明していることも参考になるだろう。例えば、「分かりにくい文章」としては「状況」ばかり説明してしまって「状況」に伴う「行動」や「変化」を書いていないという。
メロスは激怒した。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。
「走れメロス」から状況の説明の文章だけを抜き出してみたけど、文章のリズムも単調になり、確かに分かりにくいですね(笑)
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
「状況」だけの文に、その時の心理描写や行動が入るだけで随分印象が変わるものです。
言葉や表現を磨いていくということ
さらに文章を膨らませるために本書で提案していることは、「ありがちな言葉」を避けるというシンプルなことだ。
本書で取り上げている例は「かわいい」という言葉だ。例えば「かわいい」という言葉を不用意に書いてしまうと上で紹介した「読み手を意識する」ということに違反している。
例えば「子犬が小さくてとてもかわいかった」と言われても、「小さい」とはどの程度なのか、「とても」とは何と比較して「とても」なのか、「かわいい」とは具体的にどこを見て思ったのかなどなど…いくらでも疑問が生まれてくる。
また、筆が止まってしまう原因として「慣用句」を使った表現を使ってしまうことを指摘しているのは面白い。「慣用句」は状況や様子をお手軽に相手に伝えることができるものの、その出来事の具体的な様子や個性を捨象してしまうことに繋がる。そして「慣用句」で全て説明できてしまったような気分になってしまうために、そこで筆が止まってしまうのだ。
使い古された表現に満足するのではなく、実際の出来事や状況を自分の言葉で丁寧に順番に書いていくことで、文章の内容を広げていくのだ。
文章の一番のネタは自分のこと
文章を書くときに内容を広げて深めていくことが一番できる題材は自分自身のことである。
自分自身のことは本来は誰にもまねできないオリジナルなことである。
だから、読書感想文についても「自分の経験に繋げて書く」というアドバイスがされるのも、「自分自身」のことを書くことが比較的、楽しくて話題に尽きないからだろう。
どうしても学校の作文と言われると自分を書くことが憚られるという気持ちも分かるけどね。「自分のことを書く」となると胡散臭い道徳にならないといけないという思い込みがあるのも、書きにくい原因なのかもしれませんね。
読書感想文は気楽に…
読書感想文は、ろくに指導もされていないのに書かされる、その上、添削をしてくれるかもわからないような宿題であり、書くほうにしてみれば中々苦痛です。
だからこそ、あまり深刻に悩まないで書き方のワザを試してみる課題として取り組んでみたらいかが?
*1:教員は休みという訳ではない。