よく言われること。
アクティブ・ラーニング型の授業をしているとよく言われることがあります。
「生徒が好き勝手授業中に振舞って、勉強しないんじゃないか」と。
さて、この問いは本当なのだろうか?
国語の授業なのに本文を読んでいない
生徒に読むことを任せていると、なかなか教科書の本文を生徒は読まないことに悩まされることは多い。
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まあ、自分もたびたび愚痴ってます。実際、強権発動して「読め」ということを強要しなければ、ダメだったことも少なからずあるわけです。このあたりは読むことに必然性を準備できない自分の授業準備が悪いのだと思うのだけど……一方で、高校レベルまでくると生徒の日常の興味関心の外側に出ていかないといけないだけに、どうやって折り合いをつけていけばいいのかと悩ましいところです。
こうして明らかに生徒が読んでいないと分かってしまうと、一緒に本文を読んでいく一斉授業でやったほうがいいんじゃないかと何度も苦しく思う。
読まないものは読まないよ(笑)
しかし、よくよく考えてみると、一斉授業で一緒に読んでいったところで、教科書を読んでいない生徒はそもそも読んじゃいない(笑)。机の上に教科書は開いてあるかもしれないけど、板書を移すことに必死になっている生徒は教科書を読んじゃない。
ただ、一斉授業で教員自身が教科書の本文を読み上げて、板書に書いて説明すれば、生徒に対して説明責任は果たしたから生徒が聞いてないから悪いと胸を張れるわけです。
すごく意地悪な言い方をすれば、生徒が読んでいるかどうかという事実よりも、教員の方が自分の仕事をしたという安心感を得るためのアリバイ工作である。一斉授業をやったからといって、生徒が読みたくないものを読むことはない。
読まないままで板書だけで、抜き書きだけで「生徒には読ませた」と強弁してしまっていいのだろうか。
読まないことが顕在化することを恐れない
AL型の授業をして見せつけられるものは生徒の生き生きとした姿なんかじゃない。それよりもずっと今までの一斉授業で見ないふりをして済ませてきたことを見せつけられる。
でも、読んでないもの、勉強をしていないものを、本気で目の当たりにして、そこからどうすればいいか格闘していかなければいけない。
つまらない学習課題じゃ絶対、授業に参加なんてしてくれない。参加しているように見せかけて人の成果にタダ乗りしている生徒を見たときにどういう態度をとるのか。ただ、今までの授業を生徒を丸投げするのでは、生徒の方に反発されるし保護者にも説明はつかない。でも、そんなに簡単に生徒が納得するような課題は今までの授業の焼き直しからは出てこない。自分たちが積み重ねてきたことを捨てないとできない。
よほど、覚悟がないとできません。
でも、やらなければいけないでしょう?やるべきことをやれていないことの不利益は最後は誰が引き受けるのかを考えれば。