ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

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ICTのイメージのズレに気づく

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昨日、会議で話していて気づいたことがあった。

自分が仕事で使うイメージがそのまま生徒が使うイメージだったよ…。

日常的に使いたいな

自分のイメージはこれ。

gakko.site

豊福先生がずっとおっしゃっていることだけど、本気で「文具」として使うなら、日常的に使うのが一番合理的だろうと思うのです。というか、箸の上げ下ろしのように生徒の道具の利用を指図管理するなんて絶対に無理だし、取り締まる仕事を増やすだけである。

そもそも便利な道具だと思って渡されたのに、あれこれと指図されるなら、一人一台端末なんて重くて持ち歩きたくなんてなくなり、死蔵化へのカウントダウンである。

一般的なイメージ

ところが、色々な人から話を聞いていると「授業中に使うタイミングを指示するのは教員」「メインはノートと鉛筆で勉強する」という運用で一人一台端末を使うことになるというイメージの人が多いのですね。

自分からすれば休み時間にWi-Fiを切るなんて発想は全く思いつかなかったし、聞かされたときには論外としか思わなかった。

授業で集中してやっていたら休み時間まで飛び出して何か取り組むことも多いだろうし、生徒同士の共有や連絡も休み時間に起こるものなのに、それを「やるな」と禁止してしまったら、どこで使うようになるというのだろう?

また、授業中に授業を聴かないでパソコンの画面で勝手なことをされるのが嫌だから、コントロールしなければならないという心情も働くらしい。でも、別にそれはデバイスには関係なく、紙のノートだって落書きするし教科書だって別のページを読んでいたり…なんてことはよくある話でしょう。

ノートを一生懸命書く生徒もいれば、パソコンで内容を整理する生徒もいて良いんじゃないかと思うのである。板書だって写真に撮ってもいいじゃない。

もちろん、手書きでトレーニングしなければいけないことはいくつかある。いくら今はデバイスが良くなっているとはいえ、まだまだ手書きの早さや自由度には敵わない部分は大いにあるので、きちんと必要な手書きのスキルは授業でトレーニングしておく必要性はよく分かる。

でも、それとデバイスの使用をイチイチ管理するのとは別の時限の話だと思うのですよね。

イメージの共有から

思うに、イメージのズレを解消するためには、まずはちゃんとやっぱり相手が何を考えているかということを対話しないといけないんだなと思うのである。

自分のイイタイコトはこの本を読んでもらえれば解決できるかな。

とりあえず、既に三冊買っています(うち1冊は電子書籍)。

色々な人にタイミングを見て勧めています。読んでもらうと「こういうことね!」「ここならうちでも出来るね」などとリアクションをもらえます。

 

イメージを伝えないでイライラしていたらダメですね。

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