今日も今日とて授業ですよ。毎週月曜日は生徒が午後までくると青息吐息です。
そんな日には「山月記」を読むにも生徒のほうが乗ってこないわけです。
読みたくないものを読ませられないのか…
結局、何度も何度も同じところに立ち返る。
そもそもとして読む気がない文章を読ませることはできないんじゃないかなぁ…という自分の考えが変わらない。
何か名人的に生徒を抜群に引き付けるような発問ができれば、少しは読むようになるのかもしれないけど、何だか生徒を引き付けるような発問を考えようとして頭をひねっている時間が無駄な感じがする。自分が一番、文章と向き合って文章に悩まされてどうする(実際、そうなるもんだとは思うけど、信条として生徒よりも教員が悩んでいてもそれはどうしようもないのではないか?という気分もある)。
生徒が読みたくなる文章を読むのが一番なのだとは思うけど……なかなかリーディングワークショップを自由にやれない現実。
読まなければいけないものを読ませるとしても…
読む文章を選ばせることができないのなら、せめて読み方は自由に読ませたいとは思う。
でも、一方でどうやれば力が付くのかということを真剣に考えておかないといけない。好き勝手読んで何も理解しないままで終わったら、それこそ読みたくもないものを読んで時間を無駄にしたということに過ぎない。
だからこそ、きちんと自由に読むという活動であっても、きちんとその自由に読むことで力が付くんだという理屈をもって授業を進めていきたいと思っている。
今回の自分の単元は活動が「深いアプローチ」になるような授業のサイクルを回すことを狙っているつもりだ。
何度か紹介しているけど、再度紹介。
「深いアプローチ」
- これまで持っていた知識や経験に考えを関連付けること
- パターンや重要な原理を探すこと
- 根拠を持ち、それを結論に関連付けること
- 論理や議論を注意深く、批判的に検討すること
- 学びながら成長していることを自覚的に理解すること
- コース内容に積極的に関心を持つこと
「成長していることを自覚的に理解する」ってどういうことなんだろうということが、読むことに限らず国語は難しい。
活動と目標と学習が一致してしまうからこそ何を勉強して成長しているのかを自覚させていきたい。
だからこそ、今回は「自分の考えを持つ」→「協働して検証する」→「言語化して総括する」というサイクルを必ず授業で回すことを取り入れているし、そのサイクルを実現するために授業前に必ず生徒のノートを集めてコメントを分類したり結び付けたりすることで「検証」と「結論」のフェーズを強化している。
だかこそ授業前の考えることをやってほしい…
この授業の回し方の最大の欠点は、とにかく生徒が準備してこないと協働して検証するという授業が成立しないということだ。
だから意地でも授業前にノート回収しているんだけど……まあ、苦しいよね。
出すことが目的になって考えもない小奇麗な回答を出されても何も授業で協働する意味がない。
最後には自分たちの活動とふりかえりを読み直し、学習レポートを書いてもらいたいのだけど……さて、どこまで届くかな。