今日もあまり体調良くなく途中ですが退散。
たぶん、明日もキツイいかなぁ…。
2030年以降の学びを
去年ほど、レビューを書く熱量が自分にないので、簡易に。
この大会のテーマは「みんなでつくる未来の学び」である。とても抽象的である。
溝上慎一先生のオープニングセッションでは、この点についてアイスブレイクとALの体験として、グループワークをやりましたが、自分も含めて急に少し先のことを考え出すと、途端に言葉に詰まる。
目の前の学校の課題に四苦八苦していると、何のために、どこを目指して授業しているのかということが、曖昧になって、不明確になってしまう。
VUCAの時代だからとか、AIの時代だからとか、ライフシフトだからとかどこかで借りてきたような言葉を並べることはできるけど、そんな曖昧なもののために授業している気はしない。
目の前の子どもの人生に対して危機感と、どうなって欲しいかという願いを持って、学年や学校と同僚と折り合いをつけながら、仕事しているのである。曖昧な借り物の概念で後付けするような仕事ではない。
とはいえ、日常に追われていると、周りとそういう話をする余裕もなく、何となく個人営業主で仕事を進めていて、いざ、こういう風に問われるとどう答えたらいいものか行き詰まる。
司会の関西大学の森先生も言っていたが、このオープニングセッションは普段の近視眼的な視点に見通しを開いてくれるような時間であったといえる。ちゃんと言葉にして、データをみて、自分たちの仕事の責任と役割を考えないといけないですね。
当事者であるから
こういう場に出てくると、びっくりするくらい多くの人が参加しているので、世の中は教育に対してみんな真摯なのだなぁと感じるものの、これが日常に帰っていくと、なかなかどうして、温度差を感じることは多い。
冷静に、理詰めで考えていったとき、自分だけどうにかすれば良いものでもないし、スーパーマンがやってきて解決してくれるものでもない。
結局、自分たちの組織で、いる人たちでどうしたいかをはっきりさせていかなければならないのである。
問題は誰がそのためのリーダーシップを取るのか、組織の持てる力を集約していくのか……。
こう書くと自分がとても他人事のように考えているように感じられる。誰かにリーダーシップを期待している。では、自分は?となる。
よくよく考えると、校内の仕事でも他人に指示を出したりお膳立てしたりする役割が徐々に増えてきている。このブログを書き始めた頃は専任の新人一年目で気楽なものだったが、常勤のころから数えると、そろそろ仕事の責任が問われる身分である。一人で仕事していればよいというものでもない。
世の中の年齢構成と同じく、中堅がごっそりいない職員室なので、いきなり仕事が降ってくるのである。甘えていられない。
他人に対してあれをやれ、これをやれというのもおかしな話であるし、自分であれもこれもやってしまっても意味がない。
遠回りをしながらも、やっぱりどこかで周りの人がどんな思いでいるのかを聴き取りながら、少しずつ作っていくしかないのかなと思う。
校内で勉強会を誘っているが、必ず誰かはレスポンスしてくれる。そんな地味なことが、授業や行事で少し新しい試みを産んだりするのだから、やはり話続けなければいけないよなぁと反省するのです。忙しくて無理と、棚上げにして這いずり廻る自分がいる。
授業は大切であるが、授業で勝負と言い訳できない。個人営業主では、自分の学校は行き詰まるのだと、向き合わねば…。
論点は見えてきた
自分の夏のアクティブラーニング関係のフォーラムは学研のフォーラムから数えると5年以上こうして参加してきたけど、5年前から考えれば信じられないくらいに、多くの人が危機感と関心を持って取り組んでいる感じがある。
色々な本も出たし、色々なデータも出てきた。学校としても一人一人の教員としても、今のままでは厳しいという意識も共有されてきた。
そして、先進的な取り組みをした学校が少しずつ、結果を出し始め、色々な形で世の中に成果が共有され始めている。
言い方は悪いが、そろそろこういうフォーラムに出ても目新しい話は聞かなくなってきた。こういう場で、問題意識のある人と話すのは楽しいが、話すべき相手はその場限りの人ではなく、自分の学校の同僚である。
押し付けがましくなく、緩やかに粘り強く、足場を固めていかなければいけないと思うのである。