ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

【ICT】扱える資料が変化すると

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一人一台デバイスは実現していないけど、何とかBYOD、生徒のスマホでチマチマとICTを使って授業をしています。いつ休校になってもスマホで勉強が続けられるように。そして、スマホを使った方がより良いものが目指せるということも期待して。 

圧倒的に資料の共有がラク

ICTを使う一番のメリットだと自分が思っているのが、授業で扱う資料の縛りが大幅になくなることだ。

紙の資料で配付しようとすると、せいぜい、一回の授業でB4で2~3枚が限度と言ったところだ。そして、基本的に印刷しやすいものしか共有できない。印刷して不鮮明になるものは資料に向かないし、字の大きさやフォントだって調整できないので可読性のニーズにもあまり答えられない。

高校の現代文担当としては、生徒に読んで欲しい資料は山のようにある。しかし、それをイチイチ、コピーして渡すのは相当に気合いを入れないと無理だし、コピーして渡すと物量的にも嵩張るので、かえって学びを阻害するような面もある。

そう考えると、ボタン一つで資料を簡単に共有できるGoogleクラスルームのようなLMS

を活用できると、資料配付のハードルが非常に下がってありがたい。

扱える資料の種類も変化する

単純に配布が楽になるだけの話でもない。生徒に提供できる資料の種類もかなり多彩になる。例えば単純にはNHK for Schoolなどの動画の素材もそうだし、ニュース番組の動画も使える。もちろん、Youtubeにも素材になるものが大量にある…TEDとかね。

また、ネットニュースなどももちろん資料として使える。まあ、ちゃんと選ばないといけないけど、ネットニュースに出てくる優れたルポルタージュなども少なからずあるし、実際、生徒が日常的に触れる可能性のあるものを授業の素材に出来ることにはそれなりに価値があると思っている。*1

読んで欲しい資料のリンクのリストをまとめて送信するだけで、あとは自由に読んでもらえるわけだ。まったく、資料の配付の仕方や扱い方の発想が紙とは異なる。

あ、地味ですが、レスポンシブルデザインはスマホで資料を読むには読みやすいです。データをPDF化して送ると、画面が小さくて読みにくいことを考えると、非常にレスポンシブルデザインはありがたい。

資料の扱い方も変わる

紙で渡す資料は基本的には気合いを入れて読解しないといけない気がしてしまう。生徒も教員も。

だから、教員の価値観が色濃く反映されてしまうし、そこから漏れ落ちる物も数多くあったように思う。なかなか30人なら30人にぴったりと当てはまる資料を選ぶのは厳しいのが現実だ。だから、手を変え、品を変え、説明をして理解してもらって……となるのだが、まあ、手間は多いのである。

だが、これがデジタルでリンクなどを送るというカタチでの資料配付になるのであれば、事情が少し変わってくる。

様々な難易度や種類の情報を複数提示することで、生徒にとって理解しやすい物で理解してもらう…という可能性が出てくる。この資料は読めなくても、こっちで理解できれば良いとか、一つで分からなくてもいくつか読んでもらって何となくつかんでもらう…とかね。

紙の資料や新聞より、ちょっと教員が気をつけて選ばないといけないものは多いし、情報の提示の仕方を間違えると著作権の意識などでも問題があるので、注意は多いけど、この手のノウハウも慣れてくると共有されてくるし、だんだんとうまく出来るんじゃあないかなと思う。

読み方も変わっていくのか 

また、資料の提示の仕方が変わると、そもそも「読む」という行為自体も「精読」以外にも意識を向けざるを得ない気はする。

RSTテストなどから、「そもそもちゃんと読んでいないじゃないか」という批判を浴びせられているところではあるけど*2、色々な読み方を扱うのも「国語科」の授業だと思うので、しばらくは可能性を模索させて欲しいところだ。

 

*1:余談だけど、ネット記事だとコメント欄があるものが多いですよね……コメント欄の内容を読むと……それはなかなかしんどいし、教室で扱う素材に相応しいかは問題があるので、積極的には取り上げられないけど、そういう生の話を見て、生徒が考えることも無いわけではない。授業のメインにはおけないけど、副作用的に……。

*2:余談ですが、今年度の『月刊国語教育』のRST関連の連載は秀逸です。

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