評価と授業づくりについて考える時期です。
練習ばかりになっていないか、ということを考えるのです。
細切れになりやすい
要するに、いわゆる「真正の課題」「オーセンティックな課題」として、どのようなことを設定することが出来るだろうかということに頭を悩ましている。
もう、これは宿命的なものである。
高3のこの時期になるともう入試のこと以外に手を出せない校内の事情があるので、それまでは延々と生徒にとって真に相対するだけの価値のある学習課題は何かと言うことに頭が痛くて、授業のアイデアが出てこないで苦しんでいる。
「これは時間をかければきっと面白いぞ!!」というアイデアまでは、時間をかければ出てくるのだが、実際に自分の持ちコマの条件に当てはめて単元構想をしてみると……全然、上手くいかないというパターンが多くある。
というのも、高校の授業は科目数が多いこともあって、一科目あたりの週の授業数は2~3くらいである。3あればまだマシで、下手すると三年間週2コマで授業をし続けることになる。
正直、週2コマは授業としては厳しい。
勤務校の場合は、土曜日にも授業があるが土曜日は定期的に休業になるし、月曜日の授業は振替休日で潰れることも多い。それ以外の平日も、なんやかんやと行事が入り、意外と一週間がフルに授業出来ることは多くない。
下手すると、土曜日と月曜日のコマになると、半月以上授業がないとか平気で起こる。
そもそも、授業が非常に細切れにされてしまうので、「なにか粘り強くまとまった単元を作る」という発想にはなりにくいのだ。
理想を言えば授業がない間も、生徒がじっくりと課題に取り組んで学びを深める……と言いたいところだけど、授業がある科目からたっぷり課題が出るのが高校の授業である。授業がなければ生徒の学びへの動機付けだって弱くなるのである。
授業、単元を考えるときに、生徒のバリバリと燃えるモチベーションを前提に計画したら駄目だ。
細切れの授業の中で「真正の課題」を考えなければいけないのだ。
細切れでオーセンティックな課題はあり得るのか?
しかし、思うに、毎週、安定して授業があるわけでなく、イチイチ、前回の授業で何をやったのかということを思い出さなければいけないような授業予定で、ある程度の深い思考や高度な技能を発揮することを求める「オーセンティックな課題」「真正の課題」は成立するのかということである。
本音を言えば、厳しいと思っている。
ないとは言わないが、自分が高校生に期待したいレベルを実現するためには、授業でまとまって考える時間が欲しいと感じている。細切れで考査と考査の間の授業数が8回くらいしかないような授業数では厳しいと思っている。
例えば、高校生であれば、ある程度の分量を持ち、章立てを考えて構造化できているような文章を書いて欲しいと思うし、話すことであれば視覚的な資料と声の表現で相手を効果的に説得できる5分~10分くらいのプレゼンテーションは期待したいし、読むことならば、本や資料を5~6点は重ねて読んで理解して欲しいと思っている。
まあ、無い物ねだりになるのだ。
高校の授業で生徒に求めるものは、やはりある程度抽象性も高くなってきているし、小中の積み重ねがあるので、単純な活動だけでは全く学びとしては足りないのだ。
つけたい力に焦点を絞って
生徒にとっての切実な課題を考えることが、外的な条件で難しいと感じる。だからこそ、一つの単元で生徒が身につけるべき力が何かと言うことだけに焦点を絞る。
一つの素材に対して生徒に要求したいことが多くなり、あれもこれもとやりたくなるし、実際、オーセンティックな文脈に置けばそういう力もつくだろうと感じる。しかし、授業が細切れになる以上は、欲張って空中分解を起こしてしまうよりも、その時期、その単元で育てたい力は何かということに徹底的に焦点を当てて、よそ見をしないことを考えたい。
逆向き設計論からすれば、ゴールを明確にするのは当たり前と言えば当たり前なのですけどね。
しかし、この踏ん切りをつけることが難しい。
シンプルな目標にしていくことが、授業をただの作業やドリルにしてしまったり、あまりにも簡単にできてしまう課題を与えてしまったりしないように……