ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

自分のこれまでを手放す

Kindleアンリミテッドがまた無料体験キャンペーンをしていたので契約をして適当に本をあさるなどする日曜日。

最近、アンラーンという言葉をよく聞くようになっている。

色々なことが息詰まっているからこそ、発想を変えなければいけないことは数多くあるのだろう。

手放しても大丈夫

大人の学びは痛みを伴うものだという話もよく聞く。まさに、このアンラーンという発想も、ある意味では痛みの伴うこととして受け止められる。

これまでの自分がやってきたことを「手放す」ということは、自分で自分のことを否定するかのようなそういう気持ちになるのは一面では仕方の無いことなのだろう。

しかし、本当は「手放す」ことと「否定する」ことは全然、意味合いが違うことである。「否定する」ことで二度と自分の積み上げてきたものを使わないということと、いったん「手放す」ことで自分に新しいことを受け入れる余地を作ることは全然違う。

個人的な感覚として「手放す」と決めたことであっても、長い間しっかりと自分が自信を持って取り組んできたことは、自分の身体知、暗黙知として身体に染みついており、その強みを消すことにはならないのである。

本当に自信のあることであればあるほど、潔く手放すができるのだ。

もし、不安になることがあるならば、ある意味ではもう一度学び直しが必要だろうと思う。自分の積み重ねに自信が無いのであれば、アンラーンの前にしっかりと足元を固めるのも悪い話ではない。

自分を変えるのではなくて

自分を無理矢理変えることは居心地が悪い。それができるのは一部の信念の強い人間か、神経が麻痺している特殊なタイプの人間だ。だいたいは、安定した足場があって、そこでもがこうとしている。

だから、アンラーンという話を学校でする時に思うことは、無理矢理に何かを変えることではなく、自分に何かを受け入れる余地をつくることなのだということ。ゼロにならなければいけないということは、安定的に学校を運営していく意味でも良い筋ではないと感じる。

ただ、少しずつ自分の中に蓄えていくためには、自分が固く握りしめているものを少しだけ解きほぐさないと難しいのだ。

最近になって色々な状況が大きく変わっている。少しでも自分の持てる荷物を増やすためには、手放す練習とその実践が必要になってくるのだ。

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