ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

授業づくりの本を眺めて…

夏のインプット期間の二日目です。

昨日、あれほど積ん読を消化するという話をしたのに、授業づくりの本に気を取られて全く積ん読は進まず、むしろ再読祭りになっている本日です。

授業づくりを突き進む

明日が日本国語教育学会の全国大会だから、授業づくりの本が気にかかったとも言える。ちょうど、日国の『国語科教育研究』の今月号も送られてきているタイミングで、色々な実践案を目にする時間が多かったからかもしれない。

 

 

授業研究は教員の仕事の本質である。授業研究を止めて手持ちのカードだけでくり返し時間を流すようになったら、もはやそれはプロではない。

蛇蝎の如く嫌われる「研究授業」ではあるけど、授業研究を教員という共同体で上手く機能させて、学校の文化として蓄積していくという機能を考えると、決して世間で言われているほど軽々しく扱われて良いものでもないし、効率化や合理化だけで論じて良いことではないように思う。

 

石井英真先生は以下の書籍で、授業研究を通じた教員の学びの重要性を以下のように述べている。

教師たちが自らの実践を支えている理論を自覚化し、より広い視野から実践の意味を理解し、それを語る言葉を持つ。それは、教師の感覚的な判断を根拠や確信を伴ったものとし、実践の変革可能性や柔軟性を準備するでしょう。教師の学びは、模倣と省察の過程で理論知と実践知を統一する研究的な学びとして遂行されねばならないのです。

(石井英真(2020)『授業づくりの深め方:「よい授業」をデザインするための5つのツボ』ミネルヴァ書房 P.14)

同書では「教える」ということに力点のある本である。授業がドラマであり、授業づくりの魅力を強く語られる。だからこそ、授業づくりに対しても高い水準の要求がされている。教員の授業で教えるということへの期待と叱咤がある。

授業を熱っぽく語るだけの姿がどれだけ持てるか。ネガティブな要因に足を引っ張られることの多い現場だけに、授業づくりの本質が熱意と願いにあることを時々、ちゃんと思い出さねばならないと思う。

授業に対する願いを持っているか

また、石井先生は別の書籍で次のようなことを述べている。

 

 

授業や教材研究の前提として、どうしてもこれは子どもたちに伝えたい、つかませたい、教えたいというものを、そもそも教師はもてているだろうか。たとえば、物語文の主題や作品としての価値をどう考えているのか。「関数」とは何で、それを学ぶことにどんな意味があるのか。子どもの学習に先立ってこれらの問いに教師自身が向き合い、教師が一人の学び手として納得のゆくまで教材をかみ砕き学び深める経験も重要なのである。

(石井英真(2017)『教師の資質・能力を高める!アクティブ・ラーニングを超えていく「研究する」教師へ:教師が学び合う「実践研究」の方法』日本標準 P.19)

 

我慢強く自分が教えていることの意味について考えることが重要なのだ。

しかし、それだけの時間をこの多忙で色々なものに追われている状況でどこまで出来ているかと言われると自信が無い。

自分で教材や教科の本質的な学びを考えることなく、入試の問題が解けることが出来ればよいと考えることを止めてしまっては、それは決して教員の仕事ではない。

生徒らの進路を考えれば、受験の問題が解けることは最低限の仕事として求められるかもしれないが、それが全ての仕事だと投げてしまうのは安易だろうと思うし、入試以外の様々な実践を軽く扱いすぎだろうし、自分の研鑽としてあまりに志が低くないか?と疑問に思う。

日々の子どもを見続ける

なお、先に紹介した『授業づくりの深め方:「よい授業」をデザインするための5つのツボ』に対する批判として、教員の「信念」という観点からの主張がある。

 

 

石井教授学は練り上げ型授業でもアクティブ・ラーニング型授業でも5つのツボを考慮していたら授業が改善されると提案している。新しい学習指導要領は練り上げ型授業でもアクティブ・ラーニング型授業でも主体的な学び、対話的な学び、深い学びが実現するように意図したら授業が改善されると提案している。(中略)…教師の信念の問題は、石井提案の練り上げ型授業VSアクティブ・ラーニング型授業というビジョンの相違以外のところにある。

安易にマニュアルを求めがちな、マニュアルに依存するしかないという信念の打破の方が問題なのである。その問題を解決せずして5つのツボを提示したら、5つのツボをなぞりさえすればよいとする授業研究論が跋扈することになるだろう。

(千々布敏弥(2021)『先生たちのリフレクション』教育開発研究所 PP.133-134)

 

耳に痛いがまさにその通りである。

授業に対するモチベーションや石井先生の言葉を借りれば「ロマン」がなくなっているからこそ、授業のマニュアルを求める信念が強固に働く現状がある。

なぜ、授業に対してこれほどまでに現場の士気が下がっているのか。授業を自分の魅力的な仕事と捉えられないからこそ、マニュアルが欲しくなる。

その根本原因と向き合わないといけないのだろうなぁ…。

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