ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

よい授業を見て蓄える

本日は予定通り、日本国語教育学会の全国大会(オンライン)に参加。

一日目は提案授業と研究協議会をウェビナー視聴。

久々にちゃんと授業を見学した!という感じがする。

よい授業は力がある

本日の授業は小学校の授業。

自分は高校で主に教えているので、小学校の授業の緻密さや力強さは、こういう機会に時々触れて、感心させられてばかりである。

小学校の授業は全く大人の想像している教室とは違う現実がある。普段、教壇に立っているような人間でさえ、小学校の授業は未知の領域である。正直、小学校でいきなり授業をやれと言われても対応できない。

様々な機会に「小学校の授業ではこれをやれ」という教育論が叫ばれるのだが、小学校の教室で、子どもたちがどれだけダイナミックな学びをしているかということの想像が足りないように思う。

最近、「ごんぎつね」が話題になって、色々な考え方が可視化されたように思うが、子どもたちの成長や発達段階を考慮せず、大人が大人の視点だけでしか考えていない教育論は、おそらくどれを取り入れても効果はないだろう。大人の視点からだけで述べる教育論は、本質は子どもに対する侮りである。無力で無知で無能であるから教育するという価値観が透けて見える。

しかし、本当に力のある授業を見ると、そのような侮りは不適切だとはっきりと分かる。

いや、全国大会で発表するようなトップレベルの教員でなくても、日々、子どもたちに真摯に向き合っている教員たちの授業には、必ず、その教室にしかない力強さがある。それぞれの子どもに対して丁寧に向き合って、教えている先生方の力量は外側から見るよりも遙かに高い。

子どもたちの姿を見取る力は、小さな子どもを相手にしている先生方ほど強いように思う。自分のように高校生ばかりを相手にしていると、ほとんど子どもの感覚を見取ることには疎い。

小学校の実践を見ると、もっとちゃんと子どもたちの言葉を見ようとすれば、できる授業があるのではないかと思えてくる。

それぞれの役割を

明日は校種別分科会など。

小学校の授業で子どもたちの姿を見ることを感化されたからこそ、中学校や高校でしかできない実践は何かと言うことを考えたいところだ。

明日の校種別分科会などはそれぞれに力のある発表である。その教室でしか出来ない実践も少なからずある。しかし、そういう実践を「役に立たない」というのは浅薄だろう。

このような実践について学び会う機会の本質は、どのように子どもを見取っていくか、見取ったことからどのような力をつけたいと願うか、どのような手立てで授業を創っていくか、そういく授業観を鍛えることにある。

自分の教室を思い浮かべながら、どのような授業の勘所があるのだろうかということを考えると、明日からの授業に気力が湧いてくるのである。

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